藤舎の紋 藤舎名玄TOSHA MEIGEN ― 詞章ライブラリーへ戻る
長唄

鞍馬山くらまやま

作詞者・作曲者不詳

鞍馬山 杉木立の修行
杉木立の修行

鞍馬山で天狗を相手に剣術の修行をする牛若丸を描く。前半は牛若の生い立ちの回想、後半は小天狗・僧正坊との立合いとなる。

あらすじ

月も暗い鞍馬山、木の葉おろしの夜嵐が吹き、貴船川のあたりは天狗倒しの音が絶えない魔界の巷。牛若丸は父の仇である平家を討つべく毎夜毘沙門天に詣で、疲れて岩角にまどろむ。三歳のとき母の懐で伏見の里を逃れ、宗清の情けで命を助けられて東光坊に預けられてから十余年——夢に見たそのことを思い、剣術の修行を思い立つ。折しも天狗礫が降り、小天狗、そして僧正坊が現れて木太刀を交える。さしもの天狗もあしらいかねて姿を消していく。

詞章と現代語訳

つき鞍馬くらまかげうとく、おどしの小夜嵐さよあらし物騒ものさわがしや貴船川きぶねがは天狗てんぐだをしのおびただしく、魔界まかいちまたおそろしき

そもそも月も暗い鞍馬——その名のとおり月影も乏しく、木の葉を吹き散らす夜嵐が渡る。物騒がしい貴船川のあたりでは、天狗倒しの音がおびただしく響き、魔界の巷とも見える恐ろしさ。

ここ源家げんけ正統せいとうたる、牛若丸うしわかまる

ここに源氏の正統である牛若丸は。

ちちあだ平家へいけひと太刀たちうらまんと、夜毎よごとまうづる多聞天たもんてん祈念きねんつか岩角いはかどに、しばしまどろむ肱枕ひぢまくら

父の仇である平家をひと太刀恨みを晴らそうと、夜ごと毘沙門天に詣でる。祈念の疲れに岩角で、しばし肱を枕にまどろむ。

〔回想〕

おもいだせばわれいま三才さんさいときなりしが、はは常盤ときはふところかかへられ、伏見ふしみさとにて宗清むねきよが、なさけによりていのちたすかり、出家しゆつけをせよと当山たうざんの、東光坊とうくわうばうあづけられしを

思い返せば、私がまだ三歳のとき、母・常盤の懐に抱かれて伏見の里まで落ちのび、平宗清の情けによって命を助けられた。そして出家せよとこの山の東光坊へ預けられたが。

かぞへてればひとむかし十余年じふよねん星霜せいさうれば、稚心をさなごころわすれずして、いまのあたりたるゆめ、それにつけてもちちあだ

数えてみればもう一昔、十余年の歳月が過ぎた。幼な心にも忘れずにいたことを、今まざまざと夢に見た。それにつけても父の仇を。

剣道けんだう修業しゆげふなすといへども、われ一向いつかう生兵法なまびやうはふねがへばかみめぐみにて、本望ほんまうとぐる時節じせつたん、イデヤ琢磨たくま修業しゆげふをなさん

剣術の修行をしているとはいえ、まだまるで生兵法。願わくは神の恵みによって本望を遂げる時節を待とう。いざ、さらに琢磨の修行に励もう。

木太刀きだちかまへてがまへなす

木太刀を構えて身構える。

〔天狗〕

ときしもにはかかぜおこり、天狗礫てんぐつぶてのばらばらと、鳴動めいどうなしてすさまじし

折しもにわかに風が起こり、天狗礫がばらばらと降りかかって、鳴り響くさまの凄まじいこと。

はるかのすぎこずゑより、またもやあやしの小天狗こてんぐ

はるか彼方の杉の梢から、またもや怪しい小天狗が。

木太刀きだちうちふり立向たちむかへば

木太刀を打ち振って立ち向かってくれば。

シャ小賢こざかしと牛若丸うしわかまる

ええ小賢しいと、牛若丸は。

つけいる木太刀きだちはら退

つけ入ってくる木太刀を払いのけ。

上段じやうだん下段げだん

上段に、下段に。

さそくのはたら

とっさの働き。

勝負しようぶ如何いかにと霧隠きりがくれ、うしろにうかが

勝負はいかにと、霧に姿を隠して背後をうかがう。

僧正坊そうじやうばう

鞍馬の大天狗・僧正坊が。

まさおとらぬ

勝りも劣りもしない。

両人りやうにん木太刀きだちおとこだまして、めざましくもまたいさましし

二人が打ち合う木太刀の音は谺して、目を見張るほど、そしてまた勇ましいことよ。

さしもの天狗てんぐもあしらひね、あとをくらましせにけり、跡をくらまし失せにけり

さしもの天狗もあしらいかねて、姿をくらまして消え去ったのであった。姿をくらまして消え去ったのであった。

詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第二編 長唄集(明治四十二年刊・著作権消滅)所収の本文により、繰り返し記号は読みやすく展開した。合方(〔合〕)の指示は省いている。

〔 〕で括った段の名は、読みやすさのために補ったもの。原典にはない。

「月も鞍馬」は「暗し」と「鞍馬」を掛ける。冒頭から掛詞で場面を立ち上げる。

「天狗倒し」は山中で木が倒れるような大音がするのに、行ってみると何もないという怪異。

「多聞天」は毘沙門天。鞍馬寺の本尊で、牛若丸が夜ごと詣でたとされる。

「常盤」は牛若丸の母・常盤御前。平治の乱ののち、幼子を抱いて都を落ちた。

「宗清」は平宗清。常盤母子を捕らえながら情けをかけて助けたと伝えられる。

「僧正坊」は鞍馬山の大天狗。牛若丸に兵法を授けたという。

作詞者・作曲者・初演年は原典に記載がない。流儀・稽古本によって字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。