連獅子れんじし
河竹黙阿弥 作詞 二世杵屋勝三郎 作曲 明治五年(一八七二)初演

能「石橋」に基づく松羽目物。文殊菩薩の霊地・清涼山の石橋で、親獅子が子獅子を谷底へ蹴落として鍛える。前段は狂言師による手獅子の舞、後段は親子の獅子の精による勇壮な毛振り。
あらすじ
牡丹は花の王、獅子は獣の王。文殊菩薩のおわす清涼山の石橋のほとりで、親獅子は我が子を谷底へ蹴落として力を試す。子獅子は幾度も突き落とされながら爪を立てて駆け登る。やがて牡丹の香りに酔う獅子の精たちが現れ、笙・笛・琴の妙なる調べのなか、狂ったように舞い遊んで獅子の座に直る。
詞章と現代語訳
それ牡丹は百花の王にして 獅子は百獣の長とかや 桃李にまさる牡丹花の 今を盛りに咲き満ちて
そもそも牡丹は百花の王であり、獅子は百獣の長であるという。桃や李にもまさる牡丹の花が、今を盛りと咲き満ちて。
虎豹に劣らぬ連獅子の 戯れ遊ぶ石の橋 これぞ文殊のおはします その名も高き清涼山
虎や豹にも劣らぬ連獅子が、戯れ遊ぶ石の橋。ここは文殊菩薩のおわします、その名も高い清涼山である。
蹴落す子獅子は転ころころ 落つると見えしが身を翻し 爪を蹴たてて駈登るを 又突き落し突き落す 猛き心の荒獅子も
親獅子が蹴落とすと、子獅子はころころと転がり落ちていく。落ちたかと見えたが身を翻し、爪を蹴立てて駆け登ってくる。それをまた突き落とし、突き落とす。猛々しい心の荒獅子も——

風に散り行く花びらの ひらりひらひら 翼を慕ひ 共に狂ふぞ面白き(楽)
風に散りゆく花びらのように、ひらりひらひらと。その翼を慕って、共に狂い舞うさまの面白いことよ。
折から笙笛琴箜篌の 妙なる調べ 舞ひの袖
折しも笙・笛・琴・箜篌の妙なる調べが響き、舞いの袖がひるがえる。

獅子団乱旋の舞楽のみぎん 獅子団乱旋の舞楽のみぎん 牡丹の花ぶさ香ひ満ちみち 大巾利巾の獅子頭
獅子団乱旋の舞楽の妙技、獅子団乱旋の舞楽の妙技。牡丹の花房の香りが満ちみちて、大巾利巾の獅子頭が揺れる。
打てや囃せや牡丹芳 牡丹芳 黄金の蘂あらはれて 花に戯れ枝に臥しまろび 実にも上なき獅子王の勢ひ 靡かぬ草木もなき時なれや 万歳千秋と舞ひ納め 万歳千秋と舞ひをさめ 獅子の座にこそなほりけれ
打てよ囃せよ、牡丹の芳しさ、牡丹の芳しさ。黄金の蕊があらわれて、花に戯れ枝に臥しまろぶ。まことにこの上ない獅子王の勢い。靡かぬ草木もない時である。万歳千秋と舞い納め、万歳千秋と舞い納めて、獅子は座にこそ直ったのであった。

詞章は前回の会のリーフレットに用いた本文(一部省略)。中ほどの間狂言(宗論)を含む全曲版が要る場合は稽古本から補う。
「石橋」は文殊菩薩の霊地・清涼山にかかる石の橋。その向こうは仏の浄土とされ、獅子が現れて舞うという能の趣向による。
「団乱旋」は唐楽の曲名。「みぎん」は妙技・見事さの意に用いる。
「大巾利巾」は獅子頭の勇壮なさまをいう語。
「箜篌」は古代の竪琴。笙・笛・琴と並べて、天上の楽の音を表す。
流儀・稽古本によって字句に異同がある。演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。