藤舎の紋 藤舎名玄TOSHA MEIGEN ― 詞章ライブラリーへ戻る
長唄

近江のお兼おうみのおかね

変化舞踊「閏茲姿八景」の一  別題「晒女」「団十郎娘」

近江のお兼 野路の玉川の晒
野路の玉川の晒

近江の力持ちの女・お兼を題材とする。暴れ馬の手綱を高下駄で踏みとどめたという伝説の女丈夫が、力自慢と恋心をないまぜに見せる。後半は近江八景を詠み込み、末は布晒しで結ぶ。

あらすじ

菜種に胡蝶、梅に鶯——似合いのものを並べたのち、色白で歯を染めぬ「団十郎娘」お兼の噂が高下駄とともに立つ。まだ男を知らぬ身で、恋ではなく相撲でなら相手をしようと力自慢を見せ、五十五貫の俵も石も軽々と持ち上げる。逢瀬は人目をはばかり、関の清水、堅田、三井寺、粟津、大津、鏡と近江八景の地名を織り込んで恋を嘆く。末は野路の玉川に細布を晒し、手にくるくると繰りながら賤が庵へ帰っていく。

詞章と現代語訳

とめてよなら菜種なたね胡蝶こてふうめうぐひすまつゆき、さてはせなちょがそでたもと、しょんがいな

とめて見るなら、菜種に胡蝶、梅に鶯、松に雪——さてはあの人の袖と袂も、そんな似合いの取り合わせ。しょんがいな。

色気いろけ白歯しらは団十郎娘だんじふらうむすめ、つよいつよいとにふれし、おかねうはさ高足駄たかあしだ

色気があって、まだ鉄漿もつけぬ白歯の「団十郎娘」。強い、強いと評判の高いお兼の噂は、その高下駄とともに高く立つ。

まだをとこには近江路あふみぢや、晒盥さらしだらひのたがなぶらうと、こひぢゃいやいや角力すまふでならば、相手あひてえらばず割合わりあひ、ありゃありゃありゃよいやさ

まだ男には逢っていない——その「あふ」から近江路。晒盥の箍をからかおうと、誰が言い寄ろうと、恋ならいやいや、相撲でならば相手を選ばず取り組もう。ありゃありゃ、よいやさ。

つとはさとここのどきよ、十三夜じふさんやにはあめにてつきも、なげのなさけももりくみづ

四つといえば里の九つ時。十三夜には雨で月も見えず、かりそめの情けも漏り、汲む水のように。

面白おもしろかろではないかいな

面白いではありませんか。

〔力持ち〕

ちからだめしの曲持きよくもち

力だめしの曲持ちは。

いしでもごんせ

石でもおいでなさい。

たはらでも御座ござれ御座れにさしきって五十五ごじふごくわんはなんのその、なかきめし若衆わかしゆも、をんなにゃさぬ力瘤ちからこぶ

俵でもおいでなさい、おいでなさいと差し切って、五十五貫など何のその。中の字を決めた若い衆も、女相手には力瘤も出せまい。

〔近江八景〕

ほんにほうやれはおかし、をりをみつみのふみさへ人目ひとめせき清水しみづこころれて

ほんに、逢う夜のおかしさよ。折を見て——その「みつ」から三井の、文さえ人目をはばかる。逢坂の関の清水に、心まで濡れて。

今宵こよひかたたにおひそのまつと、返事へんじしづかきたせていて、またじゃとこころわらひ、うそをつくまのあだにくらしい

今宵は堅田で待つと言い、返事も静かに待たせておいて、また来ないのかと心で笑い、嘘をつく間のなんとも憎らしいこと。

けて今頃いまごろ三井寺みゐでらは、何処どこうゑとくさって、ゆめさめが鳥籠とこやま

夜が更けて、今ごろ三井寺は。どこの田植えの女とでも寝ているのだろうと、夢の覚める——その「さめが井」から鳥籠の山へ。

こちいやばしの一筋ひとすぢに、ほんに粟津あはづのかこちごとおも大津おほつ初秋はつあき

こちらはひたすら一筋に思っているのに。ほんに粟津の恨みごと。思う人と逢う——その「おほつ」から大津は初秋に。

かがみしゅゆの盆踊ぼんをどり

鏡山のあたり、しばしの盆踊り。

〔七夕〕

あまがはほしちぎり岩橋いはばしの、くるわびしき葛城かづらきの、かみならぬすゑかけて、よいやなよいやな

天の川で星が交わす契りも、葛城の岩橋のように途中で絶える。夜が明けるのが侘しい。神ならぬ身は末を頼みに。よいやな、よいやな。

せいしのうへかささぎの、はしうら笛竹ふえたけも、一節切ひとよぎりとはきつらき、八声やこゑとりにせかれては、よいやなよいやな

誓紙の上にも鵲の橋。橋占に立って聞く笛竹の音も、「一節切」——たった一夜きりと聞くのはつらい。明け方を告げる鶏の声に急かされて。よいやな、よいやな。

ささの一夜ひとよ縁結えんむす

ささやかな一夜を縁結びとして。

〔布晒し〕

野路のぢ玉川たまがははぎえて、いろあるみづにさらしのや

野路の玉川、萩を越えて。色をたたえた水に布を晒すよ。

さらしてふりせまいかせうせう

晒して、その振りを見せようかしよう、しよう。

立浪たつなみが立浪が瀬々せぜ網代あじろにさへられて、ながるるみづをせきとめよせきとめよ、さっさ、くるまがきれてきれて、いづおもひはとなたにも

立つ波が、立つ波が瀬々の網代にさえぎられて。流れる水をせき止めよ、せき止めよ、さっさ。車の輪が切れて、切れて。いずれ思いはどなたにも。

さらし細布ほそぬのにくるくると、晒細布手にくるくると、いざやかへらんしづいほ

晒す細布を手にくるくると、晒す細布を手にくるくると。さあ帰ろう、わが賤しい庵へ。

詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第二編 長唄集(明治四十二年刊・著作権消滅)所収の本文により、繰り返し記号は読みやすく展開した。合方(〔合〕)の指示は省いている。

〔 〕で括った段の名は、読みやすさのために補ったもの。原典にはない。

変化舞踊「閏茲姿八景」の一。「八景」の名のとおり、近江八景の地名を詞章に詠み込む。

「近江のお兼」は暴れ馬の手綱を高下駄で踏み止めたと伝えられる力持ちの女。浮世絵の画題としても知られる。

「団十郎娘」は色白で市川団十郎に似た顔立ちの娘の意とも、力自慢を荒事の団十郎に見立てたともいう。

「白歯」は既婚女性の鉄漿(お歯黒)に対して、未婚を示す。

近江八景の掛詞——三井(三井寺)、堅田、粟津、鏡山、瀬田、矢橋などが恋の言葉に織り込まれている。

「一節切」は短い尺八。「ひと夜きり」に掛ける。

終わりの布晒しは長唄「越後獅子」と同じ趣向で、この曲も別題を「晒女」という。

作詞者・作曲者・初演年は原典に記載がない。流儀・稽古本によって字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。