調布玉川たつくりのたまがわ
清元 本名題『六玉川勇商人』(むたまがわいさみあきんど) 別題『さし売』 作詞者・作曲者・初演年不詳

六玉川のうち武蔵の調布の玉川を、江戸の勇み肌の「さし売」に仕立てた一曲。「調布や晒す晒布の手拭」と、万葉の「多摩川にさらす手作り」の調布を起こしに、向こう鉢巻に倶利迦羅不動の彫り物、派手な法被に縞の股引のばさら兄いが現れる。藪蚊ならぬ「さし売」と見くだされても、お城の鯱鉾をにらんで生まれ、玉川の水で産湯を使った江戸っ子の意地を張る。小格子の女郎、「命」の彫り物を消させて二世を契る女のおかしさ、身軽な渡り奉公をうたい、後半は「飲めや歌えや買え」の三つに「三津」と「大の字」を重ねて定紋を寿ぎ、窓から見る大名行列の供揃えから、勇み込んで走って行く。当ライブラリの千鳥玉川と同じ六玉川の一曲。
あらすじ
調布の玉川で晒した手拭を向こう鉢巻に、腕には倶利迦羅不動の彫り物、派手な法被に縞の股引のばさら兄いが夕暮れに現れる。藪蚊ならぬ「さし売」と見くだされても、鯱鉾をにらんで生まれ、玉川の水で産湯を使った東っ子。うんと言わない意地っ張りで、女のことなら野暮は言わず、「さし」は女郎に禁句と百も承知の売り言葉。小格子の女郎、清盛の火の病ならぬ鉄火の病、あいつに熱くなって腕に灸、「命」の彫り物を消させて二世を契る女の女房気取りのおかしさ。身は軽業の綱ならぬ渡り奉公。飲めや歌えや買えの三つに三津の大の字、その定紋の潔さ。殿のお帰りの供揃えを窓から眺め、江戸の花の勇み肌は勢い込んで走って行く。
詞章と現代語訳
調布や〔合〕晒す晒布の手拭を、向ふ鉢巻看板は〔合〕腕に倶利迦羅不動尊、而ものうまくのたまくの、ばさら兄哥と〔合〕夕暮に〔合〕
調布(多摩川の手作りの布)の、晒した晒布の手拭を向こう鉢巻。看板(法被)の腕には倶利迦羅不動尊の彫り物、しかも「のうまくのたまく」の、ばさら兄い——夕暮れに。
派手な法被の羽繕ひ、縞の股引履てくりや〔合〕藪蚊ならねど〔合〕さし売と〔合〕見けなされども鯱鉾を〔合〕睨んで生れ玉川を、ぎやつと産湯の吾妻子〔合〕
派手な法被で羽づくろい、縞の股引をはいてくりゃ、藪蚊ではないが「さし(刺し)売り」と見くだされても、お城の鯱鉾をにらんで生まれ、玉川の水をおぎゃあと産湯に使った東っ子。
ウント言ひねへ達入も
「うん」と言わねえ意地の張りようも。
髱の事なら野暮なしに、さしとは女郎に禁句とは、百も承知の売言葉〔合〕
女(髱)のことなら野暮は言わずに。「さし」は女郎に禁句とは、百も承知の売り言葉。
のうそれ〔合〕
のう、それ。
よしか吉原の〔合〕
「よしか」吉原の。
小格子なんぞへ打つかり〔合〕新手と思ひ行く気なら、蹴転もとない声ながら〔合〕
小格子(格の低い見世)なんぞへぶつかって、新手の客と思って行く気なら——蹴転(けころ)ならぬ、心もとない声ながら。
清盛さんは火の病、私や鉄火が身の病
清盛さんは熱病の火の病、わしは鉄火(向こう気の強さ)が身の病。
奴めに熱くなつた日は〔合〕ぐつと左を〔合〕さし〔合〕艾〔合〕
あいつに熱くなった日には、ぐっと左の腕に、さし艾(灸)。
命とかけた文身を、消させて二世とあいあがり〔合〕どんな大事な〔合〕男の名でも、様と書かれぬ可笑しさは、女房気取ぢや〔合〕あるまいか
「命」と彫った彫り物を消させて、二世を契ると「あいあがり」。どんな大事な男の名でも、「様」と書かれないおかしさは——女房気取りではあるまいか。
色の押手は重けれど〔合〕身は軽業の〔合〕綱ならで〔合〕浮世をわたり奉公とは
色事の押しは重いけれど、身は軽業の綱ならぬ、浮世を渡る渡り奉公とは。
サテサテサテサテサテサテサテアレハサテコレハサテ
さてさて……あれはさて、これはさて。
これやこの呑や諷へやそれ買へと、合せて三津の〔合〕
これやこの——飲めや歌えや、それ買えと、合わせて三つ(三津)の。
大の字大の字
大の字、大の字。
その定紋ぞ潔き〔合〕
その定紋の、なんと潔いことよ。
殿の帰りを窓から見たれば、台傘竪傘〔合〕曳馬お徒士に若党草履取、槍持コノ合羽籠〔合〕アレハサノサコレハサノエイエイエイエイ
殿のお帰りを窓から見れば、台傘に竪傘、曳き馬、お徒士に若党、草履取り、槍持ち、この合羽籠——あれはさのさ、これはさの、えいえいえいえい。
得たり賢き江戸の花、きほひ込でぞ走り行く
得たりかしこしと、江戸の花の勇み肌、勢い込んで走って行く。
詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第三編 清元集(明治四十二年)の校訂本文(著作権消滅)による。繰り返し記号は読みやすく展開し、合方の指示は省いた。繰り返し記号は直前の語句を繰り返すものとして展開したが、どこまでを一語と見るかはこちらの判断による。
同じ曲は『柏葉集』にも収められている(目次の題名『六玉川勇商人(さし売)(調布の玉川)』、本文の題名『六玉川勇商人(さしうり)(一名調布玉川)』)。ここでは清元集の本文によった。
六玉川は、歌枕の六つの玉川(井手・野路・調布・野田・高野・三島)。この曲は武蔵の調布の玉川で、「多摩川にさらす手作りさらさらに何ぞこの児のここだかなしき」(万葉集・東歌)の、多摩川で晒す手作りの布(調布)を起こしに取る。当ライブラリには同じ六玉川の千鳥玉川(陸奥の野田の玉川)もある。
「さし売」は、銭の穴に通して束ねる細い縄(緡・さし)を売り歩く者で、江戸では勇み肌の者が売り歩いたとされる。「藪蚊ならねど」は「刺す」に掛け、「さしとは女郎に禁句」も同じ「さし」に掛けたと見られる。「鯱鉾を睨んで生れ、玉川を産湯」は、江戸城の鯱をにらんで生まれ、玉川上水の水で産湯を使ったという江戸っ子の自慢。「吾妻子」は東っ子、江戸っ子。
「倶利迦羅不動尊」は倶利迦羅竜の彫り物。「のうまく」は不動明王の真言の唱え出しで、「のうまくのたまくの」はそれに玉川などを掛けたかと見られるが、断じきれない。「清盛さんは火の病」は、平清盛が熱病で没したことによる。「蹴転」は下谷などにいた格の低い私娼で、「心もとない」に掛けたと見られる。「命とかけた文身」は、思う相手の名に「命」と添えて彫った彫り物。
後半の「呑めや諷へやそれ買へと、合せて三津の、大の字大の字、その定紋ぞ潔き」は、飲む・歌う・買うの三つに「三津」を掛け、坂東三津五郎家の定紋「三つ大」を詠み込んだものと見られる。
繰り返し記号は、直前の語句を繰り返すものとして展開した。「サテ/\/\/\/\/\」は「サテ」を六度繰り返して七つ、「大の字/\」は「大の字大の字」、「エイ/\/\/\」は「エイエイエイエイ」と見た。どこまでを一語と見るかはこちらの判断による。
語義を定めがたい語は推測で埋めず原典のまま残した。「見けなされ」(見くだされの意と見た)、「よしか吉原」の「よしか」、「奴めに熱くなつた」の「奴め」(相手の女をいう語と見た)、「さし艾」(灸をすえる意と見た)、「二世とあいあがり」の「あいあがり」、「色の押手」。
流儀・稽古本によって仮名遣いや字句に異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。