英執着獅子はなぶさしゅうじゃくじし
別題「執着獅子」

石橋物のうち、女方が獅子を舞う「女獅子物」の代表。前半は蝶と戯れる恋の情、中ほどに桜の名を連ねる物尽くしを置き、後半は石橋の獅子の狂いへと転じる。
あらすじ
花に舞う蝶に心を寄せ、四季折々の戯れを重ねるうち、短夜の夢のように恋は移ろう。二頭の獅子が身をなで、頭を垂れて胡蝶と遊ぶ。庭桜・緋桜・瀧桜・糸桜・山桜と桜の名を尽くし、廓の恋を織り込む。やがて牡丹の花が咲き乱れて散りかかり、恋の淵に沈んだ憂さを嘆いたのち、石橋の景色に転じる。時節を待てば獅子が現れ、団乱旋の舞楽を舞って獅子の座に直る。
詞章と現代語訳
花飛び蝶驚けども人知らず
花が舞い散り蝶が驚き立つけれど、人はそれに気づかない。
我も迷ふやさまざまに、四季折々の戯れは、蝶よ胡蝶よせめて暫しは手にとまれ、見かへれば花の木蔭に、見えつ隠れつ羽を休め、姿やさしき夏木立
私もまたさまざまに迷うことよ。四季折々の戯れは——蝶よ胡蝶よ、せめてしばらくはこの手にとまっておくれ。振り返れば花の木蔭に、見えつ隠れつ羽を休めている。その姿もやさしい夏木立。
心づくしのな此の年月を、いつか思ひの晴るるやと、心ひとつに諦めん、よしや世の中
心を尽くしてきたこの年月。いつかこの思いも晴れる日が来るかと、心ひとつに諦めよう。ままよ、世の中とはこうしたもの。
短か夜の夢はあやなし其の移り香の、にくたておろか主なき花を、何のさらさらさらに恋は曲者
短い夏の夜の夢はとりとめもなく、あとに残るのは移り香ばかり。憎らしいとも愚かとも——主のない花を、何のさらさらと。まったく恋は曲者である。
露東雲の草葉に靡く青柳の糸しほらしく、二つの獅子の身をなでて、頭をうなだれ耳をふせ、花に宿借る浮世の嵐、彼方へ誘ひ此方へ寄りつ園の胡蝶に戯れ遊ぶ、己が友呼ぶ獅子の駒
露に濡れる東雲の草葉に靡く青柳の糸のようにいじらしく、二頭の獅子が身をなでて、頭を垂れ耳を伏せる。花に宿を借りる浮世の嵐が、あちらへ誘いこちらへ寄せて、園の胡蝶と戯れ遊ぶ。おのが友を呼ぶ獅子の駒よ。
花にうつろふ恋の胡蝶の舞の袖
花から花へ移ろう、恋の胡蝶の舞の袖よ。
恋すてふ比翼連理の可愛らし
恋をするという、比翼の鳥・連理の枝のような睦まじさのいじらしいこと。
大宮人の庭桜、檜扇かざす緋桜の、地主の桜や瀧桜、月の影さへ明石潟、人丸桜袖硯、筆の命毛墨桜、誰が小桜や憎からぬ姨桜花桜
大宮人の庭桜、檜扇をかざすような緋桜。清水の地主桜、瀧桜。月の光までも明るい明石潟。人丸桜、袖硯、筆の命毛にちなむ墨桜。誰が植えた小桜やら、憎からず思う姨桜、花桜。
名とりの廓に弾く三味の、手鞠桜のはづみよし、思ひ初めたよ糸桜、君の名のみ聞く桜、二人が恋の山桜、祈る誓も伊勢桜、色も変らぬ紫の江戸桜家桜
名高い廓で弾く三味線、手鞠桜のように弾みもよい。思い初めたよ糸桜。あなたの名ばかりを聞く桜。二人の恋の山桜。祈る誓いも伊勢桜。色も変わらぬ紫の江戸桜、家桜。
面白や時しも今は牡丹の花の、咲くや乱れて散るは散るは、散り来るは散るは散るは、散り来るは散り来るは散り散り
おもしろや、折しも今は牡丹の花が咲き乱れ、散るは散るは。散り来るは、散るは散るは、散り来るは散り来るは、散り散りに。
散りかかるやうで、おいとしうて寝られぬ、花見て戻ろ花見て戻ろ、花には憂さを打忘れ
散りかかるようで、いとおしくて眠れない。花を見て帰ろう、花を見て帰ろう。花を見ているあいだは憂さも忘れられる。
人目忍べば恨みはせまじ、為に沈みし恋の淵、心柄なる身の憂さを、やんれそれはそれはへ誠や憂や辛や
人目を忍ぶ身であれば恨むまい。そのために沈みこんだ恋の淵。自分の心が招いたこの憂さを——やんれ、それはそれは。まことに憂く、辛いことよ。
朝な夕なに写す鏡のよい金性と私は水性でお前と深い
朝な夕なに姿を映す鏡——あなたはよい金性、私は水性。金は水を生むというから、あなたと私は深い縁。
それを疑ふことかいな、さらりと柳にやらしゃんせ、柳に柳にやらしゃんせ、思ひ廻らせば昔なり
それを疑うことがありましょうか。さらりと柳に受け流してくださいな。柳に、柳に受け流して。思い返せばもう昔のこと。
牡丹に戯れ獅子の曲、実に石橋の有様は、唱歌の花ふり簫笛琴箜篌、夕日の雲に聞こゆべき、目前の奇特あらたなり
牡丹に戯れる獅子の曲。まことに石橋のありさまは、唱歌に合わせて花が降り、簫や笛、琴、箜篌の音が夕日の雲に響くという。その奇跡がまさに目の前にあらわれる。
暫く待たせ給へやと、影向の時節も今幾度によも過ぎじ
しばらくお待ちなさいと。神仏の現れる時節も、もういくらも経たぬうちに参りましょう。
舞子図乱旋の舞楽のみぎん、舞子図乱旋の舞楽のみぎん、牡丹の花房匂ひ満ち満ち、たいきんりきんの獅子頭
舞人の団乱旋の舞楽の妙技、舞人の団乱旋の舞楽の妙技。牡丹の花房の香りが満ちみちて、大巾利巾の獅子頭が揺れる。
うてや囃せや牡丹ぼうぼう、くわうきんの瑞あらはれて、花に戯れ枝に臥し転び、実にも上なき獅子王の勢ひ靡かぬ草木もなきときなれや、万歳千秋と舞納め、万歳千秋と舞納め、獅子の座にこそ直りけれ
打てよ囃せよ、牡丹の芳しさよ。黄金の瑞相があらわれて、花に戯れ枝に臥しまろぶ。まことにこの上ない獅子王の勢い。靡かぬ草木もない時である。万歳千秋と舞い納め、万歳千秋と舞い納めて、獅子は座にこそ直ったのであった。
詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第二編 長唄集(明治四十二年刊・著作権消滅)所収の本文により、繰り返し記号は読みやすく展開した。合方(〔合〕)の指示は省いている。
〔 〕で括った段の名は、読みやすさのために補ったもの。原典にはない。
石橋物のうち女方が獅子を舞う「女獅子物」。「英」は美しいものの意で、初演の座元や役者に因む冠称とみられる。
「比翼連理」は白居易「長恨歌」による。比翼の鳥・連理の枝で、男女の深い契りをいう。
中ほどは桜の名を連ねる物尽くし。庭桜・緋桜・地主桜・瀧桜・人丸桜・墨桜・姨桜・糸桜・山桜・伊勢桜・江戸桜と続ける。
「金性」「水性」は陰陽五行の生まれ年による性。五行相生で金は水を生むので、相性がよいとされる。
終曲部は長唄「石橋」「連獅子」「俄獅子」と同じ本歌を踏む。原典の「図乱旋」は「団乱旋」の表記の揺れだが、ここでは原典の字を残した。
作詞者・作曲者・初演年は原典に記載がない。流儀・稽古本によって字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。