舌出し三番叟しただしさんばそう
桜田治助 作詞 本名題「再春菘種蒔」(またくるはるすずなのたねまき) 別題「志賀山三番叟」「種蒔三番叟」

初世中村仲蔵(秀鶴)が得意とした志賀山流の三番叟を写した曲。舞のなかで舌を出す愛嬌のある所作からこの名がある。祝言尽くしから氏神詣で、嫁入り、子孫繁栄へと運び、千秋万歳で舞い納める。
あらすじ
その昔、秀鶴の名で知られた志賀山流の三番叟。及ばぬ筆の写し絵のようなものだが、ひとえに有難いのは花のお江戸のご贔屓——それを頭に載せた重い立烏帽子。天の岩戸の神楽月、七五三を祝う縫い模様には竹に八千代の寿を籠め、松の齢、鶴と亀、跳ねた鯛に腰の曲がった海老、宝尽くしに宝船。四海の波風治まって常盤の枝は伸び、鯉の滝登り、牡丹に唐獅子、唐松。よい子に小袖を着せ連れて、肩車で氏神詣で。鼓と笛の音も冴えるなか、しおらしい中娘が長者に見初められ、藤内次郎が使いに立って縁がまとまる。瑠璃の手箱に珊瑚の櫛笥、玉を延べた長持を送り、「主は百まで、私は九十九まで、共に白髪の生えるまで」。恥じらいながらの新枕、明けゆく空、妹背を結んで岩田帯。やがて孫・曾孫・玄孫を儲け、末の楽しみはこの上ない。黄金の花が今を盛りと咲き匂う踊歌に浮き立って、またのお目見得を願う種蒔きや——千秋万歳、万々歳までも賑わう芝居と舞い納める。
詞章と現代語訳
其の昔秀鶴の名にしあふ、志賀山風流の三番叟
その昔、秀鶴の名で聞こえた——志賀山流の風流な三番叟。
似せ素もなかなかに、及ばぬ筆に写し絵も、いけぬ汀の石亀や、ほんに鵜の真似烏飛び、とつぱ一重に有難き、花のお江戸の御贔屓を、頭に重き立烏帽子
似せようとしてもなかなかに及ばぬ筆で写した絵のようなもの。池の汀の石亀が鶴に及ばぬように、鵜の真似をする烏が飛ぶようなもの。ただひとえに有難いのは花のお江戸のご贔屓——それを戴くこの頭に、重い立烏帽子。
さつぱもおのが故郷へは、錦と着なすお取立て、烏滸がましくも五歳の、今日ぞ名残に候ふよ
故郷へは錦を着て帰れとばかりのお取り立て。おこがましいことながら、五年の勤めも今日が名残でございます。
天の岩戸のナ、神楽月とて祝うほん、その年も
天の岩戸にちなむ神楽月——十一月とて祝う、その年も。
五つや七つ三つ見しよと、縫ひの模様の糸ざまざまに、竹に八千代の寿こめて
五つ、七つ、三つと七五三を祝おうと、縫いの模様の糸をさまざまに染め分けて、竹に八千代の寿を籠めて。
松の齢の幾千代も、変らぬ例鶴と亀、ひんと跳ねたる目出鯛に、海老も曲りし腰の七五三
松の齢の幾千代も変わらぬためし——鶴と亀。ぴんと跳ねた目出たい鯛に、腰の曲がった海老、そして七五三の注連飾り。
宝尽しや宝船
宝尽くしの模様に、宝船。
やらやら目出度な
やれやれ、目出たいことよ。
四海波風治まりて
四海の波風はおさまって。
常盤の枝ものほよへ葉も茂る
常盤の松の枝は伸び、葉も茂る。
ゑいさら鯉の滝登り、牡丹に唐獅子、唐松を見事に見事に
えいさらさ、鯉の滝登り。牡丹に唐獅子、唐松を——見事に、見事に。
さつても見事に手を尽し、仕立栄えあるよい子の小袖、着せて着連れて
なんとも見事に手を尽くして、仕立て映えのするよい子の小袖。それを着せて、連れ立って。
参ろかの、肩車にぶん乗せて、乗せて参ろの氏神詣で
さあ参ろうか。肩車にひょいと乗せて、乗せて参ろう氏神詣で。
きねが鼓のでんつくでん、笛のひしきの音も冴えたりな
鼓がでんつくでんと鳴り、笛の音も冴えわたる。
冴えた目元のしほらしき、なかなかの中娘をひたつ長者が、嫁に欲しいと望まれて
その冴えた目元のしおらしいこと。なかなかの器量の中娘を、ひたつ長者が嫁に欲しいと望まれて。
藤内次郎が橡栗毛に乗つて、えいえいえい、ゑつちらおつちら渡せられたので、其の意にまかせ申した
藤内次郎が栗毛の馬に乗って、えいえいえい、えっちらおっちらと使いに立ったので、その意にまかせ申した。
扨婚礼の吉日は、縁をさたんの日を撰み、送る荷物は
さて婚礼の吉日は、縁を定める日を選んで、送る荷物はといえば。
何々やろな、瑠璃の手箱に珊瑚の櫛笥、玉をのべたる長持に、数もちやうどの潔よさ
さて何々であろうか。瑠璃の手箱に珊瑚の櫛笥、玉を延べた長持——数もちょうど揃って、いさぎよいことよ。
さまはナア百までナア、わしや九十九までナア
「主は百まで、わたしは九十九まで」。
倶に白髪のナア、生ゆるまでナア
「共に白髪の生えるまで」。
嫁とは言へど世間見ず、駕籠の内外の思惑が、恥かしみじみ案じられ、袖に添寝の新枕、交す言葉も何と言うて
嫁とはいえまだ世間を知らぬ身。駕籠の内でも外でも人の思惑が恥ずかしく、しみじみ案じられる。袖を交わして添い寝する新枕、交わす言葉も何と言ってよいやら。
如何した宵の口の、口女男の銚子の盃も、飲まぬ内から殿御に飲まれ、耳より先へ染めて濃き、顔も紅葉の色直し
どうしたことか宵の口。女男の銚子の盃も、飲まないうちから殿御に飲まれてしまったよう。耳から先に赤く染まって、顔も紅葉のような色直し。
それから床に差し向かひ、怖さ半分嬉しさも、先へは出ず後退り
それから床に差し向かい。怖さ半分、嬉しさ半分で、前へは出られずあとずさり。
互に手さへ鳥鐘の、声が取持ちやうやうと、明け行く空を月にして
互いに手さえ取れずにいたのを、鳥の声と鐘の音が取り持って、ようようと明けてゆく空を月と見なして。
妹背結んで女夫中、睦まし月と岩田帯
妹背を結んで夫婦の仲。睦まじい月日が重なって、やがて岩田帯。
軈て孫曾孫玄孫をもうけ、末の楽しみ此の上や
やがて孫、曾孫、玄孫まで儲けて、行く末の楽しみはこの上もない。
あらよろこばしせうが身と、心うき立つ踊歌
ああ喜ばしい身の上よと、心も浮き立つ踊り歌。
花が咲き候ふ、黄金の花が、てんこちない、今を盛りと咲き匂ふ、てもさつても見事な黄金花
花が咲きました、黄金の花が。今を盛りと咲き匂う——なんともまあ見事な黄金の花よ。
欲しかおましよぞ、一枝折りて、そりゃ誰に、いとし女郎衆のかざしの花に、ほうやれ恋の世の中
欲しくはございませんか。一枝折って、さてそれを誰に——いとしい人の髪飾りの花に。ほうやれ、恋の世の中よ。
実に恋の世の中、面白や
まことに恋の世の中、面白いことよ。
すぐにも帰りお目見得を、またこそ願ふ種蒔きや
すぐにも帰ってのお目見得を、またこそ願う——種蒔きのように。
千秋万歳、万々歳までも、賑はふ芝居と舞納む
千秋万歳、万々歳までも賑わう芝居と、舞い納めるのであった。
詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第二編 長唄集(明治四十二年刊・著作権消滅)所収の本文により、繰り返し記号は読みやすく展開し、合方〔合〕の指示は省いた。資料の題名は『再春菘種蒔』。
「秀鶴」は初世中村仲蔵の俳名。志賀山流の三番叟を得意とした。この曲はその舞を写したもので、「志賀山三番叟」「種蒔三番叟」ともいう。
「舌出し三番叟」の名は、舞のなかで舌を出す愛嬌のある所作による。
「鵜の真似烏」は「鵜の真似をする烏水に溺れる」の諺による。身のほどを超えたことをするたとえで、ここは作り手の謙遜。
「神楽月」は陰暦十一月の異名。天の岩戸の神楽にちなむ。
「五つや七つ三つ」は七五三。次の「腰の七五三」は注連飾りで、同じ語に掛ける。
「四海波風治まりて」は天下泰平をいう。謡曲『高砂』の「四海波静かにて」を踏まえる。
「鯉の滝登り」「牡丹に唐獅子」「唐松」はいずれも小袖の吉祥文様。
「主は百まで、わしは九十九まで、共に白髪の生えるまで」は祝いの席で歌われる俚謡の文句。
「岩田帯」は妊娠五か月目に巻く腹帯。「玄孫」はやしゃご、孫の孫にあたる。
「さつぱも」「のほよへ」「きね」「ひたつ長者」「縁をさたん」「てんこちない」は語義が定かでないため原典のままとした。
流儀・稽古本によって仮名遣いや字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。