藤舎の紋 藤舎名玄TOSHA MEIGEN ― 詞章ライブラリーへ戻る
清元

老松(清元)おいまつ

清元  作詞者・作曲者・初演年不詳

老松(清元) 土蔵と老松と亀
土蔵と老松と亀

松のめでたさを寿ぐ、ごく短い清元の祝儀曲。謡曲『老松』のクセの「そもそも松のめでたき事、万木に勝れ、十八公の粧ひ」の詞をほぼそのまま用い、秦の始皇帝が雨宿りした小松がたちまち大木となって帝を守り、太夫の位を贈られたという故事を語る。結びは松が枝に巣をかける鶴の齢、亀の万劫、金銀珠玉が御蔵に納まる家を寿いで納める。当ライブラリの長唄『老松』(四世杵屋六三郎が母の八十の賀に作った曲)とは別の曲である。

あらすじ

松がめでたいのは、あらゆる木にすぐれ、千年の緑を保って昔も今も色を変えないからである。秦の始皇帝が狩りに出たとき、にわかに大雨となり、帝が小松の蔭に寄ると、松はたちまち大木となって枝葉で雨を防いだ。帝はこれを賞して太夫の位を贈り、以来、松を太夫と呼ぶという。そのめでたい松が枝に巣をかける鶴の齢を君に捧げ、子孫は亀のように長く栄え、流れの絶えない川のように金銀珠玉が御蔵へ納まる家こそめでたい。

詞章と現代語訳

そもそもまつ目出度めでたこと万木ばんぼくすぐれ、十八公じふはちこう粧装よそほひ千年せんねんみどりをなして、古今ここんいろす、

そもそも松のめでたいことは、万木にすぐれ、十八公(松の字を分けた名)の装いは千年の緑をなして、昔も今も変わらぬ色を見せる。

しん始皇しくわう御狩みかりときてんにはかに掻曇かきくもり、大雨たいうしきりにりしかば、みかどあめをしのがんと、小松こまつかげたまふ、

秦の始皇帝が狩りをした時、空がにわかにかき曇り、大雨がしきりに降ったので、帝は雨をしのごうと小松の蔭へお寄りになった。

このまつたちま大木たいぼくとなり、えだかさねて、透間すきまふさぎて、あめもらさゞりしかば、みかど太夫たいふといふしやくおくくだたまひてより、まつ太夫たいふまをすとかや、

するとこの松がたちまち大木となり、枝を垂れ葉を重ねて木の間の隙間をふさぎ、その雨を漏らさなかったので、帝は太夫という爵位をお贈りになった。それから松を太夫と申すのだという。

斯様かやう目出度めでたまつに、をくふ田鶴たづよはひをば、きみさゝげて御子孫ごしそんは、かめ万劫まんごふふるかはの、ながれえせぬ金銀きんぎん珠玉しゆぎよく、どうどうどうどうと、御蔵おくらのうちへ、おさまるいへこそ目出度めでたけれ。

このようにめでたい松が枝に巣をかける鶴の齢を君に捧げ、御子孫は亀の万劫を経る——古川の流れの絶えぬように、金銀珠玉がどうどうどうどうと御蔵のうちへ納まる家こそ、めでたけれ。

詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第三編 清元集(明治四十二年)の校訂本文(著作権消滅)による。繰り返し記号は読みやすく展開し、合方の指示は省いた。繰り返し記号は直前の語句を繰り返すものとして展開したが、どこまでを一語と見るかはこちらの判断による。原典は一続きの一行だが、読みやすさを考えて四つの段に分けた。字句は改めていない。

原典に述者の記載はなく、作詞者・作曲者・初演年は不詳。当ライブラリには長唄の『老松』もあるが、詞章の異なる別の曲なので、曲名に(清元)を添えて区別した。

詞章の大部分は謡曲『老松』のクセによる。「十八公」は松の字を「十」「八」「公」に分けた言い方。秦の始皇帝が雨宿りした松に位を授けたという話は『史記』に見え、松を「太夫」と呼ぶのはこれによる。

原典の用字「粧装」、結びの「古今の色を見す」はそのまま残した。「ふる川」は「経る」と「古川」を掛けたものと見て訳した。