羽根の禿はねのかむろ
変化舞踊「春昔由縁英」の一 別題「禿」

正月の吉原で、羽子板を持った禿が羽根をつきながら舞う。年端もいかぬ少女が姉女郎の口まねで恋を語る、可憐な小品。
あらすじ
恋の種が蒔かれてより、「色」という言葉はみなこの里のもの。誠のこもった一廓では、嘘は野暮の誤りと笑う禿の姿がいじらしい。姉女郎から手ほどきされた恋の手管を、知ったふうに口にしては恥じらう。文を渡す相手を間違えるなと言い、上着を重ねて袖を振りはじめる。数え唄にのせて羽根をつき、松に梅の折枝、梅は匂い桜は花、いつも眺めは富士の白雪と結ぶ。
詞章と現代語訳
恋の種蒔き初めしより色といふ、言葉はいづれ此の里に
恋の種が蒔かれはじめてこのかた、「色」という言葉はどれもみな、この里のものとなった。
誠こもりし一と廓、丸い世界や粋の世に、嘘とは野暮の誤りと、笑ふ禿のしほらしや
誠のこもったこの一廓。丸くおさまる世界、粋を尊ぶ世の中で、「嘘」などというのは野暮な人の思い違い——そう笑ってみせる禿の、いじらしいことよ。
禿禿とたくさんそうに、言うてくだんすな、こちゃ華魁に恋の諸訳や手管のわけも、教へさんした筆の綾、よう知るとは思はんせ
「禿、禿」とぞんざいに言ってくださいますな。わたしだって花魁から、恋のいろいろな事情も手管のわけも、文の書きようまで教わっているのです。何も知らないとは思わないでくださいな。
ヲヲ恥しや恥し、しどけ態振可愛らし
ああ恥ずかしい、恥ずかしい——そう言うしどけない姿と仕草の、なんと可愛らしいこと。
文がやりたやあの君さまへ、とりゃちがへて余の人に、遣るな花のかのさまの、サテ花のかのさまの手に渡せ
文を届けたいのはあの方へ。取り違えてほかの人に渡してはいけません。花のようなあの方の、さあ、花のようなあの方の手に渡しておくれ。
朝のや六つから朝のや六つから上ぎぬ下ぎぬひっ重ね
朝の六つ時から、朝の六つ時から、上着に下着をひっ重ねて。
禿は袖の振り始め、つくつくつくには羽根をつく、一イ二ウ三イ四ウ五重に七重に、ことは十三十四十五手はまおく二十一イ二ウ三イ四ウ
禿は袖を振りはじめる。つくつく、つくといえば羽根をつく。ひい、ふう、みい、よう、五重に七重に。ことは十三、十四、十五、手はまおく、二十、ひい、ふう、みい、よう——羽根つきの数え唄。
見よなら見よなら松をかざして梅の折枝、それさこれさそれ粋た三味の手
ご覧なさい、ご覧なさい。松をかざして梅の折枝。それさ、これさ、それ、粋な三味線の手よ。
梅は匂よ桜は花よ、梅は匂よ桜は花よ、いつも眺は不二の白雪
梅は匂いよ、桜は花よ。梅は匂いよ、桜は花よ。そしていつ見ても変わらぬ眺めは、富士の白雪。
詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第二編 長唄集(明治四十二年刊・著作権消滅)所収の本文(資料の題名は「かむろ」)により、繰り返し記号は読みやすく展開した。合方(〔合〕)の指示は省いている。
〔 〕で括った段の名は、読みやすさのために補ったもの。原典にはない。
変化舞踊「春昔由縁英」の一。「羽根」は正月の羽根つきによる。子役または若い女方が勤める。
「禿」は太夫や花魁に仕える少女。将来は自身も遊女となる。
「諸訳」は廓のさまざまな事情、「手管」は客をあしらう手練手管。それを子どもが背伸びして口にするところにこの曲の眼目がある。
羽根つきの数え唄は各地に伝わるもので、「ことは十三十四十五、手はまおく二十」のように、数えかたに独特の言い回しがある。
作詞者・作曲者・初演年は原典に記載がない。流儀・稽古本によって字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。