石橋しゃっきょう
杵屋六左衛門 作 別題「外記石橋」「大石橋」

能「石橋」に基づく外記物。入唐を志した寂昭法師が清涼山の石橋にさしかかり、樵に橋の謂れを聞く。連獅子・俄獅子など後の獅子物すべての本歌となる曲。
あらすじ
大江定基改め寂昭法師が、入唐渡天の望みを抱いて石橋に至る。向こう岸は文殊菩薩の浄土・清涼山。渡ろうとするのを樵が押しとどめ、名だたる高僧すら難行苦行の末にようやく渡ったこと、獅子は小虫を捕るにも全力を尽くすことを説く。請われて橋の謂れを語り、天の浮橋から説き起こして、幅一尺に満たず長さ三丈、苔に滑り谷底は数千丈という石橋の凄まじさを描く。やがて時節を待てば、牡丹の香りのなかに獅子が現れ、団乱旋の舞楽を舞って獅子の座に直る。
詞章と現代語訳
是は大江の定元出家し、寂昭法師にて候、我入唐渡天の望み候ひて、只今思ひ立ち、是は早石橋にて候
これは大江定基が出家して寂昭法師と名乗る者でございます。かねて唐土・天竺へ渡る望みを抱き、このたび思い立って参りましたが、ここはもう石橋のあたりでございます。
向ひは文殊の浄土、清涼山にて候程に、此の辺に休らひ、橋を渡らばやと思ひ候
向こう岸は文殊菩薩の浄土、清涼山でございますから、このあたりでしばらく休んで、橋を渡ろうと思います。
松風に花を薪に吹きそひて、雪をも運ぶ山路かな
松風が花を薪に吹き添えて、雪までも運んでくる山路であることよ。
樵歌牧笛の声、人間万事さまざまに、世をわたり行く業ながら、あまりに山を遠く来て、雲又跡を立ちへだて、入りつる方も白浪の、谷の川音雨とのみ、聞こえて松の風もなし
樵の歌、牧童の笛の声。人の世の営みはさまざまで、みなそれぞれに世を渡っていく業ではあるが——あまりに山深く来てしまい、雲がまた来し方を隔てて、入って来た方角もわからない。谷川の音がただ雨のようにばかり聞こえて、松風の音さえない。
実に誤つて半日の客たりしも、今身の上に知られつつ、妻木背負ふて斧かたげ、岩根はげしき岨伝ひ、小笹を分けて歩み来る
なるほど、ふと道を誤って半日の客となったという古人の言葉も、今わが身に思い知られる。薪を背負い斧を肩にかけ、けわしい岩の崖道を伝い、小笹を分けて歩んで来る。
いかに夫れなる山人、是は石橋にて候か
これ、そこの山人よ。ここは石橋でございますか。
さん候、是は石橋にて候よ、向ひは文殊の浄土にて、清涼山とぞ申すなり、よくよく御拝み候へ
さようでございます、ここが石橋でございますよ。向こう岸は文殊菩薩の浄土、清涼山と申します。よくよくお拝みなされませ。
我が身の上を仏慮にまかせ、橋を渡らばやと思ひ候
わが身の上は仏のお計らいにまかせて、この橋を渡ろうと思います。
暫く候、其かみより、名を得給ひし高僧貴僧と聞えし人も、爰にて月日を送り給ひ、難行苦行捨身の行にてこそ橋をも渡り候ひしが
しばらくお待ちなされ。その昔から、名高い高僧・貴僧と聞こえた方々でさえ、ここで長い月日を送られ、難行苦行、捨身の行を積んでこそ、ようやく橋を渡られたのでございます。
獅子は小虫を喰はんとて、まづ勢をなすとこそ聞け、我が放力のあればとて、容易く思ひ渡らんこと、アラ危しの御事や
獅子は小さな虫を捕らえるにも、まず全力を尽くすと申します。ご自分に法力がおありだからといって、たやすく渡れるとお思いになるのは——ああ、危ういことでございますよ。
謂れを聞けばありがたや、猶々この橋の謂れ、精しく御物語り候へや
その謂れを聞けばありがたいこと。なおもこの橋の由来を、詳しくお話しくださいませ。
語つて聞かせ申すべし
語ってお聞かせ申しましょう。
夫れ天地開闢の以来
そもそも天地の開けて以来。
雨露を下して国土をわたる、是即ち天の浮橋とも云へり、其の外国土世界に於て、橋の名所様々にして、水波の難を逃れては万民富めり、世を渡るも即ち橋の徳とかや
雨露を下して国土を潤し渡す、これをすなわち天の浮橋ともいう。そのほか世界には橋の名所がさまざまにあって、水波の難を逃れることで万民が豊かになった。世を渡るというのも、つまりは橋の徳によるものだという。
然るに此の石橋は巌峨々たる岩石に、おのれと掛る橋なれば、石橋とこそ名付けたれ
しかるにこの石橋は、けわしくそびえる岩石に、おのずと架かった橋であるから、石橋と名付けられたのである。
実に此の橋の有様は、其の面わづかにして、尺よりは狭う渡せる長さ三丈余り、苔は滑りて足もたまらず、谷のそくばく深きこと数千丈とも覚えたり
まことにこの橋のありさまは、その幅はわずかで一尺にも満たず、渡した長さは三丈あまり。苔は滑って足も定まらず、谷の深さは数千丈もあろうかと思われる。
遥かに峰を見上ぐれば、雲より落つる荒瀧に霧朦朧と闇うして、下なる音も白波の、音は嵐に響きあひて、虚空を渡る如くなり
はるかに峰を見上げれば、雲から落ちる荒滝に霧が朦朧と立ちこめて暗く、下のほうでは白波の音が嵐と響き合い、まるで虚空を渡るかのようである。
橋の景色を見渡せば、雲に聳ゆる粧ひは、譬へば夕陽の雨ののち、虹を放せる其の形、又弓を引ける如くにて、神変仏力にあらずしては、進んで人や渡るべき
橋の景色を見渡せば、雲にそびえるその姿は、たとえば夕日の雨あがりに虹がかかったような形、また弓を引いたような形で、神変不思議の仏の力によらなければ、進んで渡れる人などあろうか。
向ひは文殊の浄土にて常に清香の花降りて、簫笛琴箜篌夕日の雲に聞ゆべき、目前の奇特あらたなり
向こう岸は文殊菩薩の浄土であって、常に清らかな香りの花が降り、簫や笛、琴、箜篌の音が夕日の雲に響くという。その奇跡がまさに目の前にあらわれるのだ。
暫く待たせ給へや、影向の時節も今幾程によも過ぎじ
しばらくお待ちなさいませ。神仏の現れる時節も、もういくらも経たぬうちに参りましょう。
獅子団乱旋の舞楽のみぎん、獅子団乱旋の舞楽のみぎん、牡丹の英匂ひみちみち、大巾利巾の獅子頭
獅子団乱旋の舞楽の妙技、獅子団乱旋の舞楽の妙技。牡丹の花房の香りが満ちみちて、大巾利巾の獅子頭が揺れる。
うてやはやせや牡丹芳牡丹芳、黄金の蕊あらはれて花に戯れ枝に臥し転び、実に上なき獅子王の勢ひ、靡かぬ草木もなき時なれや、万歳千秋と舞納め、万歳千秋と舞納め、獅子の座にこそなほりけれ
打てよ囃せよ、牡丹の芳しさ、牡丹の芳しさ。黄金の蕊があらわれて、花に戯れ枝に臥しまろぶ。まことにこの上ない獅子王の勢い。靡かぬ草木もない時である。万歳千秋と舞い納め、万歳千秋と舞い納めて、獅子は座にこそ直ったのであった。
詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第二編 長唄集(明治四十二年刊・著作権消滅)所収の本文により、繰り返し記号は読みやすく展開した。
〔 〕で括った話者の指示は、読みやすさのために補ったもの。原典にはない。
能「石橋」に基づく。連獅子・俄獅子・英執着獅子など、すべての獅子物の本歌にあたる。
「大江定基」は平安中期の官人。出家して寂昭と号し、宋に渡った実在の人物。原典の「定元」は「定基」の表記の揺れ。
「入唐渡天」は唐土(中国)と天竺(インド)へ渡ること。
「誤つて半日の客たりし」は、道に迷って思わぬ時を過ごすこと。漢詩に由来する言い回し。
「三丈」は約九メートル。「尺よりは狭う」は幅が三十センチ余りにも満たないの意。
「団乱旋」は唐楽の曲名。「みぎん」は妙技・見事さの意に用いる。この終曲部は長唄「連獅子」「俄獅子」にもほぼ同じ形で受け継がれている。
作曲年・初演は原典に記載がない。流儀・稽古本によって字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。