藤舎の紋 藤舎名玄TOSHA MEIGEN ― 詞章ライブラリーへ戻る
長唄

琴歌夜の鶴ことうたよるのつる

荻江節  森田勘弥相勤申候

琴歌夜の鶴 雪の葦原の親鶴
雪の葦原の親鶴

我が子を思う親の情をうたう一曲。中ほどから終わりまで、鳥の名を次々に詠み込む「鳥尽くし」となり、末は夜の鶴——子を思って鳴く親鳥の姿で結ぶ。

あらすじ

子を思う道はただ一筋、行く水のように変わらぬこと。それをくどくどと人には言えず、若木を貫くような男の涙は袖の前でも恥ずかしい。深い恩愛を深見草に重ね、咲いてはしおれ、しおれては咲いて、心は乱れる。世は泡沫、粟津の烏の「かわいかわい」という声を聞けば我が身の上が思われる。夕波千鳥、鴫の羽掻き、鶉、鴛鴦、鳥の名を連ねて心をつなぎとめようとするが、花も散り命も冥途へ。子を捨てた藪に鳴く鶯、とまりかねる親の身は、焼野の雉、夜の鶴。

詞章と現代語訳

〔二上り〕

おもみち一筋ひとすぢ行水ゆくみづのかはらぬことをくどくどと、ひとにはそれといはでのやま

子を思う道はただ一筋、流れゆく水のように変わらぬこと。それをくどくどと人には言えず——「言はで」の山の。

わかをつらぬくをとこなみだそでのてまへもはづかしく、恩愛おんあい深見草ふかみぐさ

若木を貫くように胸を貫く男の涙。袖の手前も恥ずかしい。その恩愛の深さを深見草——牡丹に重ねて。

きてしをれてしをれてきて、しんはなくなくみだどり

咲いてはしおれ、しおれては咲いて。心は泣く泣く、乱れる鳥のよう。

〔鳥尽くし〕

はうたかたの粟津あはづからす可愛かはい可愛のこゑけば、うへ夕波ゆふなみ千鳥ちどり

世は泡沫のよう——その「あわ」から粟津の烏。「かわい、かわい」と鳴くその声を聞けば、我が身の上が思われる。夕波に鳴く千鳥。

いはれぬしぎ羽掻はねがきものとりどりに、うづら鶉とおもこゑ

口に出せぬ鴫の羽掻きも、憂き身、憂き寝のさまざま。うずうずと胸に募る鶉の声。

鴛鴦をしむねはいろいろとり小雀こがら山雀やまがらひわ目白めじろこころ駒鳥こまどりつなぎもやらず

鳴く鴛鴦のように胸のうちも色とりどり。小雀、山雀、鶸、目白。心の駒鳥はつなぎとめることもできず。

つなげばはなりていのち冥途めいどのとりわけて、つるやぶうぐひすの、とまりかねたるおや焼野やけのきぎすよるつる

つなぎとめても花は散り、行く命は冥途へ。とりわけて——子を捨てた藪に鳴く鶯のように。とまりかねている親の身は、焼野の雉、そして夜の鶴。

この曲は詞章の出典が他と異なる。『徳川文芸類聚』第十 俗曲下所収『荻江節正本』の本文(著作権消滅)により、繰り返し記号は読みやすく展開した。

原典は総かな書きのため、読みやすさを考えて漢字を当てた箇所がある。

〔 〕で括った段の名は、読みやすさのために補ったもの。原典にはない。

「焼野の雉夜の鶴」は「夜の鶴都のうちに籠められて子を恋ふるにや夜の鶴なく」などによる成句。焼野の雉は我が身を焼かれても子を庇い、鶴は寒夜に翼で雛を覆うという。親の情の深さの譬え。

「深見草」は牡丹の異名。「深い」に掛ける。

「粟津の烏」の「かわい」は烏の鳴き声を「かわい(可愛)」と聞きなしたもの。

中ほどからは鳥の名を次々に詠み込む物尽くし。千鳥・鴫・鶉・鴛鴦・小雀・山雀・鶸・目白・駒鳥・鶯・雉・鶴と続けて、末の「夜の鶴」に収める。

「荻江節」は長唄から分かれた座敷唄。「森田勘弥相勤申候」は初演の役者名を示す原典の書き入れ。

作詞者・作曲者・初演年は原典に記載がない。流儀・稽古本によって字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。