浦島うらしま
杵屋三郎助 添削 変化舞踊「拙筆力七以呂波」の一 別題「旧浦島」

浦島太郎が龍宮を出て故郷へ帰る道すがらを、恋の別れに重ねてうたう。物語を追うのではなく、失われた昔を懐かしむ情に主眼がある。
あらすじ
夕凪の海原、龍宮の都を出て寄せる波。あとに引かれる恋衣は濡れて、それも夢かとばかり。海女の小舟の船歌を聞きながら磯を離れ、木曽路の山へ。袖に梢の影が散り、春風に霞の初桜が咲く。移り気な蝶と菜種、比翼の蝶の情比べ。定めない花曇りのなか、馴れた情も今はつらく、ひとり寝の枕に昔を恋う。七世の波を越えて蓬が浦へ帰り、尽きぬ契りを土産に語る。
詞章と現代語訳
和田の原、浪路遥かと夕凪に、龍の都を出汐の、寄するも八十の浦島が
大海原、波路ははるかに続いて夕凪の海。龍宮の都を出る潮に乗って、寄せてくる数多の浦——その浦島が。
跡にひかるる恋衣、濡るるも夢とかぞいろに、のりしの海の船歌や
あとに心を引かれる恋衣。涙に濡れるのも夢のうちかと。乗って来た海に響く船歌よ。
沖の洲崎に海士の小舟が、誰が恋風に独り焦れて、よんやさ、ゆさのたゆたのしょんがいな
沖の洲崎に海女の小舟が浮かんでいる。誰の恋風に、ひとり焦がれているのだろう。よんやさ——揺さのたゆたの、しょんがいな。(囃し詞)
磯部離れて木曽路山、寝覚心にたどり来る
磯辺を離れて木曽路の山へ。夢から覚めたような心もとなさで、たどって来る。
袖に梢のうつりが散りて、花や恋しき面影のさっと吹き来る春風に、霞が生める初桜
袖に梢の影が映って散り、花もあの恋しい面影のよう。さっと吹いてくる春風に、霞のなかから初桜が生まれ出る。
花の色香につい移気な、菜種は蝶の露の床
花の色香についつい移り気になる。菜種の花は蝶にとって露の寝床。
忘れかねたる比翼の蝶の、情比べん仇桜
忘れかねている比翼の蝶——その情の深さを比べてみようか、はかなく散る仇桜と。
雪か雲かと峰の花
雪かと見え、雲かと見える峰の花。
せめて薫の
せめてその薫りだけでも。
たよりもがなと、思ひ暮らして
便りがあればと思い暮らして。
恋すてふ
恋をするという——。
空定めなき花曇、うつつ白波幾夜か恋に、馴れし情も今では辛や独り寝の、ほんに思へばさりとはさりとは
空も定めない花曇り。現とも知れぬ白波のなか、幾夜を恋に過ごしたことか。馴れ親しんだ情も、今となってはつらいひとり寝。ほんに思えば、それにしても、それにしても。
昔恋しき浪枕うたてさよ、実にや七世の波枕を越えて、よもぎが浦の浦島が、尽きぬ契を語る家土産
昔が恋しい波枕——なんと情けないことよ。まことに七世にわたる波枕を越えて、蓬が浦へ帰った浦島が、尽きることのない契りを語る、それが家への土産なのであった。
詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第二編 長唄集(明治四十二年刊・著作権消滅)所収の本文(資料の題名は「浦嶋」)により、繰り返し記号は読みやすく展開した。合方(〔合〕)の指示は省いている。
変化舞踊「拙筆力七以呂波」の一。同じ変化物には長唄「供奴」も含まれる。
浦島伝説そのものを筋立てて描くのではなく、龍宮を去った男の心情を恋の別れに重ねてうたう趣向。
「和田の原」は広い海原。「龍の都」は龍宮。
「八十の浦」は数多くの浦。「浦」に「浦島」を掛ける。
「比翼の蝶」は睦まじく連れ添うさま。「仇桜」ははかなく散る桜で、移ろう情に掛ける。
「蓬が浦」は浦島の帰り着いた故郷とされる地。「蓬が島」(蓬莱)とも通う。
明治期の「新曲浦島」(坪内逍遥作)とは別の曲。
作曲年・初演は原典に記載がない。流儀・稽古本によって字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。