藤舎の紋 藤舎名玄TOSHA MEIGEN ― 詞章ライブラリーへ戻る
長唄

浅妻船あさづまぶね

杵屋佐吉 述  本名題「浪枕月浅妻」  変化舞踊「月雪花名残文台」の一

浅妻船 湖上の月
湖上の月

近江・浅妻の遊女が白拍子の姿で舟に乗り、鞨鼓を打って舞う。英一蝶の画題「朝妻舟」に取材した、月の情趣を主とする曲。

あらすじ

琵琶湖の湊に吹く比叡颪。千船百船が艫を並べて岸の柳陰に入る。浅妻船の浅からぬ契りの昔を語り、鞨鼓の由来を説く。中ほどは背中合わせの床の山、仇し波の浮気を恨む口説き。筑摩祭の神に問いかけ、寄せては返す波に袖を濡らす。待てども来ぬ人を片破月に託し、秋の虫の音のなかで思いを募らせる。やがて鐘が聞こえて明け方となり、入りゆく月の名残を惜しんで終わる。

詞章と現代語訳

〔三下り〕

さざなみ八十やそみなとかぜの、にしみむる比叡颪ひえおろし千船ちふね百船ももふねともてて、るや岸根きしね柳陰やなぎかげ

さざなみの寄せる近江、その数多の湊に吹く風。身にしみはじめる比叡颪。千の船、百の船が艫を並べて、岸辺の柳の陰へと入っていく。

この寝る——。

浅妻船あさづまぶねあさからぬちぎりむかし驪山宮りざんきゆう、そも鞨鼓かつこはじまりは、韎鞨国まつかつこくよりつたて、たう明皇めいくわうたま

浅妻船の「浅」ではないが、浅からぬ契りを結んだその昔——驪山宮での玄宗と楊貴妃の契りにも似て。そもそも鞨鼓の始まりは靺鞨の国から伝わって、唐の玄宗皇帝が愛でられたものである。

〔口説き〕

そりゃはいでもまうぞへ、すまぬ口説くぜつ言掛いひがかり、背中合せなかあはせのとこやま此方こちかせて引寄ひきよせて、つめつててもふね

そんなことは言わずとも済むでしょうに。済まされない痴話喧嘩の言いがかり。背中合わせに寝る——その「とこ」から近江の床の山。こちらを向かせて引き寄せて、つねってみても、漕ぐ船のように離れていく。

あだしあだなみ浮気うはきづら、たれちぎりをかはしていろを、かへて日影ひかげ朝顔あさがほの、はなかつら寝乱ねみだれしまくらはづか辛気しんきでならぬへ

仇し仇波のような浮気顔。誰と契りを交わして心変わりをしたのか。日ざしに萎れる朝顔のように、桂の花のように寝乱れた枕が恥ずかしく、気が晴れなくてなりません。

筑摩祭つくままつりかみさんも、何故なぜをとこはそれなりに

筑摩祭の神様も——どうして男というものは、そのままにしておくのでしょう。

沖津嶋山おきつしまやまよるなみの、せてはかへそでうへつゆあし花心はなごころ

沖の島山に寄せる波が、寄せては返すように、袖の上にも涙が寄せては返す。露の散る蘆の花のような、頼りない心よ。

月待つきまち約束やくそくよひつきたかくなるまでまたせていて、ひとたもとうつを、片破月かたわれづきとたのめても、みづ月影つきかげながく、すゑ雲間くもま三日みかつき

月待ちの夜にと交わした約束。宵の月が高くのぼるまで待たせておいて、ひとり袂に残る移り香を頼りに、片割れの月のように半ばの心を頼みにしても——水に映る月影は流れ去り、行く末は雲間に細る三日月のよう。

こひ曲者くせものしの

恋は曲者。忍び逢う夜の。

のき月影つきかげかくれても、あまるおもひのいろみせて、あきむしわた

軒にかかる月影が隠れても、あふれる思いは色に出て。秋の虫の音が冴えわたる。

ねやつきさへまくらにかよふ、すずもりんりんりつづみ、しほらしや

閨に射す月さえ枕もとに通ってくる。鈴もりんりんと鳴り、振り鼓を打つ——その姿のいじらしいことよ。

ゆみかげかとおどろきしとり池辺ちへん宿やどし、うを月下げつかなみす、あきいまはやかねきこえて明方あけがたの、るさのつきかげしき、つき名残なごりしむらん

弓の影かと驚いた鳥は池辺の木に宿り、魚は月下の波に伏す。その秋の夜ももはや更けて、鐘の音も聞こえる明け方。沈みゆく月の光が惜しく、月の名残を惜しんでいるのだろう。

詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第二編 長唄集(明治四十二年刊・著作権消滅)所収の本文(資料の題名は「浪枕月浅妻」)により、繰り返し記号は読みやすく展開した。合方(〔合〕)の指示は省いている。

「浅妻」は近江国朝妻(現・滋賀県米原市)。琵琶湖の湊で、遊女を乗せた舟が出たという。

英一蝶の画「朝妻舟」——烏帽子をつけた遊女が鞨鼓を持って舟に立つ図——が本曲の直接の典拠とされる。

「漣や」は近江にかかる枕詞。「八十の湊」は数多くの湊の意。

「驪山宮」は玄宗皇帝と楊貴妃が契りを交わした離宮。「長恨歌」による。

「鞨鼓」は腰につけて両手の桴で打つ楽器。靺鞨国から伝来したとされる。

「床の山」は近江の歌枕。「床」に掛ける。「筑摩祭」は近江の筑摩神社の祭で、女が契った男の数だけ鍋をかぶって参ったという伝承がある。

「片破月」は半月・弓張月。ここでは相手の心が半ばであることに掛ける。

作詞者・初演年は原典に記載がない。流儀・稽古本によって字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。