江の島えのしま
作詞者・作曲者不詳

相模の江の島を訪ね、弁財天の霊験と祭礼の賑わいを叙する曲。名所づくしの体裁に、恋の情をわずかに織り込む。
あらすじ
筆も及ばぬ江の島へ、足取りも軽く。砂路をたどって見上げれば、天女のおわす島陰に妹背の岩、男山。浪間の海女小舟、引く網の浜唄。まず岩清水に拝し、蝦蟇の形の石、福石、寛永通宝の故事を語る。忍ぶ恋の闇も御神威の光に晴れる。年二度の祭礼では龍窟から神幸が渡り、榊と白幣、獅子頭が行列をなし、磯辺には波の鼓が海青楽のように響く。蓬莱堂に鶴が舞い、金亀山は輝き、妙音菩薩の調べが松風に伝わって尽きることがない。
詞章と現代語訳
筆も及ばじ江の島の、筆も及ばじ江の島の、歩みも軽き余情かや
筆にも尽くしがたい江の島の景色。筆にも尽くしがたい江の島の景色。足取りも軽くなるほどの、その趣であろうか。
砂路遥かに見あぐれば、天女まします島蔭に、並ぶ妹背や男山、いつも二十の名にふれし、緑に目だつ額ぎは
砂の道をはるかに見上げれば、天女のおわす島陰に、寄り添う妹背の岩や男山。いつも二十歳と評判の若さ、緑の黒髪も目立つ額ぎわ。
うつる浪間の海士小舟、中を結びし魚の糸、人手に掛けて引く網に、かかる拍子の浜唄や
波間に映る海女の小舟。仲を結ぶ釣り糸のように、人手をかけて引く網に、拍子を合わせる浜唄が響く。
濡れたヨ袖なら思ひの淵はヨ、あけし真砂の数よりも、しょんがいな、只いつとなく島の本
濡れた袖ならば、思いの淵は——明けても暮れても、浜の真砂の数よりも多い。しょんがいな。ただいつとはなしに、島のふもとへ。
先づ拝せんと岩清水、心住吉あら神の、石は蝦蟇なる形にて、蝦蟇とは蛙の言の葉は、実にも興ある案内の子等と、笑ふ門なる福石の
まず拝もうと岩清水へ。心も住みよい荒神の——その石は蝦蟇の形をしている。「がま」とは「かえる」のことだと、案内の子どもたちの言葉もまことに興がある。笑い声のする門のあたりの福石の。
辺尋ねて通宝の、文字の徳を得たりしは、外にも類も地震知らぬ、山とは更に事そへて
そのあたりを尋ねて、寛永通宝の文字にちなむ福徳を得たという話。ほかに類もなく、地震も知らぬという山と、さらに言い添えて。
うごく心の月の影、忍ぶの乱れ乱れかかりし村雲の
揺れ動く心に映る月の光。忍ぶ思いの乱れに乱れて、かかる村雲の。
迷ひの空や児桜、咲くも咲かぬも白菊の、しのぶの里に人問はば、思入江の島と答へよ、恋路の闇はありがたき、光にはれて影向の、岩ぞ神威のかたえなる
迷いの空にかかる児桜。咲くも咲かぬも白菊のように。しのぶの里で人に問われたら、「思い入る江の島」と答えよ。恋路の闇も、ありがたい神の光に晴れる。神が現れたという岩こそ、その神威のかたわらにある。
そも当社両度の御祭は、本宮御旅所四神の旗、神幸其の日の巳の刻に、龍窟よりも渡らせ給ふ、警固りりしき榊の仕丁白幣
そもそもこの社の年二度の御祭は、本宮から御旅所へ、四神の旗を立てて。神幸はその日の巳の刻に、龍窟からお渡りになる。警固も凛々しく、榊を捧げる仕丁、白い幣。
勢たつる獅子頭、神具神宝行儀にそろへ、海岸峨々たる巌上を、桓々として厳重たり、谺にひびく磯辺にも、浪の鼓の海青楽
勢いを立てる獅子頭。神具も神宝も整然と揃え、険しくそびえる海岸の巌の上を、堂々と厳かに進む。谺の響く磯辺にも、波が打つ鼓の音は海青楽の調べのよう。
蓬莱堂には鶴の舞ふ、此方は輝く金亀山、実にあらたなる金銀珠玉、十分に積み重ねたる富貴の鳥山
蓬莱堂には鶴が舞い、こちらは輝く金亀山。まことにあらたかな金銀珠玉が十分に積み重ねられた、富貴の宝の山。
妙音菩薩の調べも松に、吹きつたへてぞ限りなく、その節言の糸竹も、すぐなる神の誓なるべし
妙音菩薩の調べも松風に吹き伝わって、限りなく響く。その節も言葉も糸竹の音も、まっすぐな神の誓いのあらわれであろう。
詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第二編 長唄集(明治四十二年刊・著作権消滅)所収の本文(資料の題名は「江の嶋」)により、繰り返し記号は読みやすく展開した。合方(〔合〕)の指示は省いている。
〔 〕で括った段の名は、原典の指示を活かしつつ読みやすさのために補った。
江の島の江島神社は弁財天を祀り、「天女」「妙音菩薩」はいずれも弁財天を指す。
「龍窟」は江の島の岩屋。弁財天が現れたとされる洞窟で、祭礼の神幸はここから始まる。
「福石」は島内の名石。ここで金銀を拾ったという福徳の伝説があり、「通宝の文字の徳」もそれによる。
「妹背の岩」「男山」は島内の岩の名。恋の情を織り込む糸口となる。
「思入江の島」は「思ひ入る」と「入江」「江の島」を掛ける。
「海青楽」は雅楽の曲名。波音を楽の音になぞらえる。
作詞者・作曲者・初演年は原典に記載がない。流儀・稽古本によって字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。