藤舎の紋 藤舎名玄TOSHA MEIGEN ― 詞章ライブラリーへ戻る
清元

武内宿禰たけうちのすくね

清元  変化物としての題『再茲歌舞伎花轢』 別題『武の内宿禰』  作詞者・作曲者・初演年不詳

武内宿禰 凱陣の帆
凱陣の帆

山王祭の花山車を背景に、武内宿禰の姿を舞う一段。お祭・網打とともに変化物『再茲歌舞伎花轢』をなす。「年々に賑わいまさる山王の祭り」と起こし、神功皇后を補佐して三韓を従えた智勇の臣の凱陣、筑紫での御産と、のちに八幡宮と拝まれる若宮を袖に抱いて守る姿へ運ぶ。二上りは「おらも昔は花も咲かせた」と老いの述懐になり、結びは長寿で名高い宿禰にあやかって御寿命の千歳を願い、高良の神へ——と、原典はここで途切れている。短いながら、長寿と御子の誕生を寿ぐ祝儀の一段。仮名書きの多い『柏葉集』の本文に漢字を当てた。

あらすじ

年ごとに賑わう山王の祭り。花山車や屋台囃子の勢いのなかに、武内宿禰が現れる。神功皇后を補佐して三韓を従え、勝鬨をあげて凱陣の船を出した智勇の臣である。四海の波風がおさまって船は筑紫に着き、皇后は御子を産む。のちに男山の八幡宮と拝まれるその若宮を、宿禰は袖に抱いて守り役を務める。「昔はおれも花を咲かせたが、今は花見もせず若君のお守りばかり」と老いを笑い、長寿で名高い自分にあやかって、若君がなお千年も天下を治められるよう願う。原典は「名にし負う高良の神とぞ」で途切れている。

詞章と現代語訳

年々としどしにぎはひまさる山王さんわうまつりを、またも御所望ごしよまうに御贔屓ひゐきの〔合〕花出はなだしや屋台囃子やたいばやしきほひよく

年ごとに賑わいまさる山王の祭りを、またもご所望とは、まことにご贔屓の——花山車や屋台囃子に、勢いよく。

あい似たる古言ふるごとに、年も智勇ちゆうたけうち神功帝じんぐうてい輔佐ほさしん、かの三韓さんかん荒夷あらゑびす打従うちしたがへてもとやつことなして勝鬨かちどきあげ、諸卒しよそつともしほの〔合〕八十島やそしま千鳥ちどり友千鳥ともちどり凱陣かいじん十分じふぶん

「年々歳々、花相似たり」の古言のとおり、年も重ね智勇も備えた武内宿禰。神功皇后を補佐した臣で、かの三韓の荒くれを打ち従えて日本の臣下とし、勝鬨をあげて、諸卒とともに船出する。八十島の千鳥、友千鳥、凱陣の帆も十分に。

ヤラヤラ日出めでたいのへ、四海しかい浪風なみかぜおさまつて、常盤ときはの御ふねはや筑紫潟つくしがた、御さんひもときて、まつみどり男山をとこやま八幡宮はちまんぐうと、いまをがまれたま若宮わかみやを、そでいだいてもりごなして

やらやら、めでたいのう。四海の波風おさまって、常盤の御船も早く筑紫潟に着き、御産の紐を解く時も来て——松の緑の男山、八幡宮と今の世に拝まれなさる若宮を、袖に抱いてお守りして。

〔二上り〕

おらもむかしはナ、むかしはおらもはなかせた、いま花見はなみもないわこばかりていかかづらかはながたやの、吉野よしの初瀬はつせはなよりも、はなよりも

おれも昔はな、昔はおれも花を咲かせたものだ。今は花見もせず、若君のお守りばかり——「いかかづらか」——離れがたいことよ、吉野・初瀬の花よりも、花よりも。

寿命じゆめうもぢいかにあやかりましまして、なを千歳ちとせあめが下ろしせとや、にしふ高かみとぞ

御寿命もこの爺(じい)にあやかりなさって、なお千年も天下をお治めあれと——名に高い高良の神とぞ……(原典はここで途切れている)

この曲は詞章の出典が他の清元と異なる。国書刊行会『徳川文芸類聚』第九 俗曲上所収『柏葉集』の本文(著作権消滅)による。目次の題名は『再茲歌舞妓花轢(武の内宿禰 網打 お祭)』、本文の題名は『再茲歌舞妓花轢』『武の内宿禰』。

原典は仮名書きが多いので、読みやすさを考えて漢字を当てた。ふりがなが原典の仮名である。原典が漢字で書いている字はそのまま残した。

原典の末尾に「(以下欠文カ)」とあり、本文は「高らの神とぞ」で途切れている。欠けた部分は補っていない。

繰り返し記号(ヤラ/\、まし/\、花よりも/\)は、直前の語句を繰り返すものとして展開した。どこまでを一語と見るかはこちらの判断による。

原典の〔三津五郎出〕は三津五郎の出を示す注記なので、本文には入れなかった。

原典の用字「日出たい」(めでたい)、「拜」、「なを」はそのまま残した。「花あい似たる」は劉希夷の詩「年年歳歳花相似たり」を踏む。

語義を定めがたい箇所、切り方を断じきれない箇所は原典のまま残した。「守ごなして」は守り役(守り子)として、と見て訳した。二上りの「今は花見もないわこばかりていかかづらか」は「ない、和子ばかりで」と読み、「かづら」をまといつく葛と見る読み方もあるが、「いか」の語義を定めがたく、切り方も断じきれないので、訳では「いかかづらか」を原典のまま残した。結びの「ぢいかにあやかり」の「ぢい」は長寿で名高い宿禰自身を指す爺と見て訳したが、「か」を含めて断じきれない。

神功皇后が三韓から帰って筑紫で応神天皇を産み、応神天皇はのちに八幡神として祀られた、という伝えを踏む。高良の神(筑後の高良大社の神)は、武内宿禰と同じ神とされることがある。