松の緑まつのみどり
作詞者不詳 四世杵屋六三郎(六翁) 作曲 嘉永年間(一八五〇年頃)

「長唄は松の緑に始まり松の緑に終わる」といわれる、稽古の初伝であり同時に至難の曲。祝儀曲として披露目の席で好んで演奏される。
あらすじ
廓の禿(かむろ)が、やがて松の位の太夫へと成長していく姿を、松の緑が年ごとに深まっていく様に重ねて祝う短い一曲。「緑」という禿の名と松の緑を掛け、二葉の若木がいつしか老木となるまでの永い栄えを寿ぐ。ある舞踊家の襲名披露のために作られたと伝えられ、名披露目の曲として現在も広く用いられる。
詞章と現代語訳
今年より、千度迎ふる春毎に、なほも深めに、松の緑か禿の名ある
今年から、これから千度も迎えることになる春のたびごとに、松の緑はいっそう色を深めていく。その「緑」という名を持つ禿——。
二葉の色に太夫の風吹き通ふ、松の位の外八文字、華麗を見せたる蹴出し褄
まだ二葉のように幼いその子にも、いつしか太夫の風格が吹き通うようになる。松の位——最高位の太夫が踏む外八文字の道中、その華やかさを見せる蹴出しの褄さばき。
よう似た松の根上りも、ひとつ囲ひの籬にもるる、廓は根引きの別世界
その姿は根上りの松によく似ている。同じ籬の内にありながら、そこから抜きん出て育っていく。廓とは、根引き——身請けということのある、世間とは別の世界なのだ。
世々の誠と裏表、比べごしなる筒井筒、振分け髪もいつしかに
代々受け継がれてきた真心と、その裏表。井筒に背比べをした昔語りのように、振分け髪の幼子であったのが、いつのまにか。
老となるまで末広を、開きそめたる名こそ祝せめ
やがて年老いるその日まで、末広がりに栄えつづけるように——いま開きはじめたばかりのその名を、こぞって祝おうではないか。
詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第二編 長唄集(明治四十二年刊・著作権消滅)所収の本文により、繰り返し記号は読みやすく展開した。
「禿」は太夫に仕える少女。やがて自らも太夫へと昇っていく。「緑」はその禿の名。
「外八文字」は太夫の道中で見せる独特の足運び。「蹴出し褄」は褄を取って歩くときの裾さばき。
「根上り」は根が地上に高く現れた松。単なる木ではなく風格のある姿とされ、太夫の位に重ねている。
「筒井筒」は伊勢物語の、幼なじみが井筒で背比べをした話。幼い者が成長していく譬えとして用いられる。
作曲年・初演には諸説がある。流儀・稽古本によって仮名遣いや字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。