望月もちづき
原典に「杵屋正次郎曲」とあるのみ 作詞者・初演年不詳 能『望月』による獅子物

白雲の峰から漲り落ちる清泉、牡丹の香に誘われて戯れ遊ぶ獅子。名所尽くしをはさみ、獅子団乱旋の舞楽へと高まっていく獅子物の一曲。能『望月』の、獅子舞にかこつけて敵を討つ終曲の場に拠る。
あらすじ
白雲が峰を覆い、青巌のそびえる山頂から清らかな泉が漲り落ちる。谺に響く水音が心の耳を澄ませる幽谷に、今を盛りと咲き満ちた牡丹の香を慕って猛獣が戯れ遊び、その姿を谷川が映す。峰を仰げば千丈の高さから雲を分けて落ちる滝、巌に眠る荒獅子も牡丹に心和らいで、ともに狂い舞うのが面白い。吉野の花、龍田の紅葉、更級の月、越路の雪——明石の浦舟は風のまにまに真帆片帆、磯の千鳥、海松布の関、小淘綾の橋、田子の浦、絶え間ない富士の煙、つれない人を待つ松島、天の橋立、切戸の文殊と名所を連ねる。やがて獅子団乱旋の楽が時を知って奏でられ、あまりの秘曲の面白さに盃も舞も進んで、眠りまでも誘われる。ものものしやと立ちかかり、獅子頭を打てや打てや、八つ撥を打てやと引き寄せて、獅子の座にこそ直ったのであった。
詞章と現代語訳
夫れ白雲峰を覆ひ、青巌聳えし山頭より、漲り落つる清泉の、谺に響く水の音、心耳を澄ます幽谷に
そもそも白雲が峰を覆い、青々とした巌のそびえる山の頂から、漲り落ちる清らかな泉。谺に響く水の音が、心の耳までも澄ませる深い谷に——。
今を盛りと咲き満ちし、牡丹の花の香を慕ひ、戯れ遊ぶ猛獣の、姿を写す谷川や
いま盛りと咲き満ちた牡丹の花の香を慕って、戯れ遊ぶ猛き獣。その姿を映しとる谷川よ。
峰を仰げば千丈の、雲より落つる瀧の糸、巖に眠る荒獅子も、牡丹に心和らぎて、倶に狂ふぞ面白き
峰を仰げば千丈の高さ、雲を分けて落ちてくる滝の糸。巌に眠っていた荒獅子も、牡丹に心を和らげて、ともに狂い舞うさまの面白いことよ。
吉野龍田の花紅葉、更級越路の月雪
吉野の花、龍田の紅葉、更級の月、越路の雪。
眺め明石の浦舟も、風のまにまに真帆片帆、磯の千鳥と海松布の関を、小淘綾の橋田子の浦、富士の煙の絶間なく、つれなき人を松島や、天の橋立切戸の文殊、きれとは嬉しき名所かな
眺めもよい明石の浦舟は、風のまにまに真帆となり片帆となる。磯の千鳥、逢う目にかかる海松布の関、小淘綾の橋、田子の浦、富士の煙は絶え間なく、つれない人を待つという松島よ。天の橋立、その切戸の文殊——「切れ」とは、まあ嬉しい名の名所であることよ。
妙なりや
なんと妙なる調べであることよ。
獅子虎囀は時を知る、雨村雲や奏すらん
獅子団乱旋の楽は時を知って奏でられる。雨を呼ぶ村雲が奏でているのだろうか。

あまりに秘曲の面白さに、なほなほ巡る盃も、舞も進めばいとど尚、眠りも来る計りなり
あまりに秘曲が面白いので、なおなお盃はめぐり、舞も進めば、いよいよ眠りまでも誘われてくるばかりである。
ものものしやと立ちかかる
ものものしいことよと立ちかかる。
獅子虎囀の舞楽のみぎん、たいきんりきんの獅子頭、打てや打てや、又は八つ撥
獅子団乱旋の舞楽の調べ、たいきんりきんの獅子頭。打てや打てや、あるいは八つ撥を。
撥を打てやと引寄する
撥を打てやと引き寄せる。
獅子の座にこそ直りけれ
そして獅子の座にこそ、直ったのであった。
詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第二編 長唄集(明治四十二年刊・著作権消滅)所収の本文により、繰り返し記号は読みやすく展開し、合方〔合〕の指示は省いた。
能『望月』は、望月秋長に父を討たれた遺児花若と母が、甲賀の宿の主となっていた旧臣小沢刑部友房と再会し、居合わせた秋長を獅子舞にまぎれて討つ物語。この曲はその終曲の獅子舞の場に拠る。「眠りも来る計りなり」は、酒宴に酔って眠気を催す敵の様子をいう。
「獅子虎囀」は舞楽の曲名で、能では「獅子団乱旋」と記す。原典の表記に従い、読みは推定による。
「みぎん」「たいきんりきん」は原典のままとした。いずれも語義が定かでない。
「心耳」は心の耳。物の音を心で聴きとることをいう。
「海松布の関」は「見る目」を掛ける歌ことば。「小淘綾」は相模の歌枕。「松島」は「待つ」を掛ける。
「切戸の文殊」は天橋立の切戸にある智恩寺の文殊菩薩。ここでは縁が「切れる」に掛けて戯れている。
「八つ撥」は獅子舞で撥を打ち鳴らす囃子。獅子頭を打つ所作とともに舞の高潮をなす。
作詞者・初演年は原典に記載がない。流儀・稽古本によって仮名遣いや字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。