手古舞てこまい
清元 変化物としての題『倭仮名七文字』 狂言堂左交 作(原典の記載による) 作曲者・初演年不詳

ある人の十七回忌に、その面影をしのんで清元「お祭」を写し直した追善の一段と見られる。「紫の雲に秀でてよしといふ、その名むかしと十七回、面影ばかり写し絵や」と断ってから、お祭と同じ鳶の頭の戻り道とのろけ話、狐拳の座敷、木遣りへと運ぶ。「秀でて」「よし」には、お祭を勤めた坂東三津五郎の俳名「秀佳」を詠み込んだと見られるが、原典には誰の年忌かが記されていないので断じきれない。お祭と比べると、「申酉の花も盛りの暑さにも」の起こしと、中ほどの「あきらめて何の彼のと」、後半の引物尽くしがなく、代わりに木遣りのあとへ床の中の痴話と、東雲の鐘での仲直りが入る。結びはお祭の「お江戸の鑑」に対して「お江戸の恵みぞありがたき」。明るい祭の曲のまま故人をしのぶ追善の席に向く。仮名書きの多い『柏葉集』の本文に漢字を当てた。
あらすじ
冒頭で「その名も昔となって十七回忌、いまは面影ばかりを写し絵に」と断り、お祭の鳶の頭の姿を写す。祭の世話を行き届かせて町内で「頭、頭」と立てられ、夕日のなかを上機嫌で戻る頭が、去年の山帰りに見初めた女とのなれそめを語り出す。好いたが因果、好かれたも因果。お手が鳴るので座敷へ上がれば、客三人が狐拳のさいちゅう。木遣りの「引けや引け」は、床の中で抱きしめて布団を引く痴話に移り、仲のよい同士の口舌も東雲の鐘で仲直り。獅子王の万歳千秋を寿ぎ、お江戸の恵みのありがたさで納める。
詞章と現代語訳
紫の雲に秀でてよしといふ、その名むかしと十七回、面影ばかり写し絵や
紫の雲に秀でて「よし」という——その名も昔となって、十七回忌。いまはただ面影ばかりを、写し絵のように写して。
言はずと知れしお祭の、形もすつかりそこら中、行届かせてこぶもなく、此処では一つ彼処では、頭頭と立てられて
言わずと知れたお祭の、身なりもすっかり、そこら中に行き届かせて——「こぶもなく」——ここではひとつ、あそこでは「頭、頭」と立てられて。
御機嫌じやのと町内の、家主がたも夕日影、風も嬉しく戻り道、聞いてくりや
「御機嫌じゃ」と町内の家主方も声をかける夕日影。風もうれしい戻り道——まあ、聞いてくれ。
自体去年の山帰り、言ふは今さら過ぎし秋
そもそもは去年の山帰り。言うのも今さらの、過ぎた秋のこと。
初の一座の連の内、面白そふな口合に
初めての一座の連れのうちの、面白そうな口合い(洒落)に。
好いたが因果、好かれたも、心に二つはないわいな、その時あいつが口癖に
好いたが因果、好かれたのも因果。心に二つはないものよ。その時あいつの口癖に——
お手が鳴るから銚子の替り目と、上つて見たればお客が三人、庄屋ぽんぽん狐拳
お手が鳴るので銚子の替わり目かと上がってみれば、お客が三人。「庄屋、ぽんぽん」と狐拳のさいちゅう。
とぼけた色ではないかいなア
とぼけた色事ではないかいな。
よいよいよいやな、よいよいよいやな
よいよい、よいやな。よいよい、よいやな。
ヤレよい声かけやエヽアヽ
やれ、よい声をかけよ、ええ、ああ。
ヤアやんれ引け引け、よい声しかけて、ゑんやらさ
やあ、やんれ引け引け。よい声をかけて、えんやらさ。
やつと抱きしめ、床の中から小夜着布団をなんぐりかけ、なんでもこつちを引かしやんせ
やっと抱きしめて、床の中から小夜着や布団を——「なんぐりかけ」——何でもこっちへ引かしゃんせ。
よいよいよいやな
よいよい、よいやな。
よい仲同士の恋さかいなら、痴話と口舌はなんでもかんでも今夜もせい
仲のよい同士の恋の「さかい」なら、痴話も口舌も、何でもかんでも今夜もせい。
東雲の明の鐘ごんと鳴るので、仲直りすんました
東雲の明けの鐘がごんと鳴ったので、仲直りがすみました。
よいよいよいやな
よいよい、よいやな。
そふよがしめなかづな
(「そふよがしめなかづな」——語義を定めがたいので原典のまま。)
ゑんやゑんや、これはあれはさのへエ、エンヤルヨ
えんや、えんや、これはあれはさのへえ。えんやるよ。
実にも上なき獅子王の、万歳千秋限りなく、お江戸の恵みぞ有難き
まことにこの上ない獅子王の、万歳千秋かぎりなく——お江戸の恵みのありがたいことよ。
この曲は詞章の出典が他の清元と異なる。国書刊行会『徳川文芸類聚』第九 俗曲上所収『柏葉集』の本文(著作権消滅)による。目次・本文の題名は『倭仮名七文字(手古舞)』。原典に「作者 狂言堂左交」とある。詞章集は変化物の題の読みを「やまとがないろのななもじ」とするが、題の字に「色」はない。
原典は仮名書きが多いので、読みやすさを考えて漢字を当てた。ふりがなが原典の仮名である。原典が漢字で書いている字はそのまま残した。
詞章の大部分は、当ライブラリの清元「お祭」(『再茲歌舞伎花轢』の一段)と同じ文句である。お祭は『声曲文芸叢書』清元集の本文によるので、同じ文句でも用字や仮名遣いが違うところがある(お祭「姿もすつかり」「こふもなく」、手古舞「なりもすつかり」「こぶもなく」など)。
冒頭の「その名むかしと十七回」「おもかげばかりうつしゑや」から、ある人の十七回忌に、その面影を写してお祭を舞い直した追善の一段と見た。同じ変化物の武内宿禰の原典に〔三津五郎出〕とあり、お祭は坂東三津五郎の所演と見られる。「紫の雲に秀でてよしといふ」は、三代目坂東三津五郎の俳名とされる「秀佳」(しうか)を「秀」「よし(佳)」に詠み込んだものかと思われる。ただし原典には誰の年忌かが記されていないので、断じきれない。
手古舞は、祭礼の山車や神輿の先に立ち、男髷にたっつけ袴などの男装で金棒を引いて練り歩く役。題はこれによるが、詞章に手古舞そのものは出てこない。
繰り返し記号(かしら/\、ぽん/\、よい/\、ひけ/\、ゑんや/\)は、直前の語句を繰り返すものとして展開した。どこまでを一語と見るかはこちらの判断による。
原典の用字「そふな」「こへ」(声)、「なかなをり」、「そふよ」、「せんじう」(千秋)はそのまま残した。「声」は一か所で「こへ」、一か所で「こゑ」と書かれている。
語義を定めがたい語は推測で埋めず原典のまま残した。「こぶもなく」(お祭では「こふもなく」)、「なんぐりかけ」、「恋さかい」の「さかい」(諍いの意か)、「そふよがしめなかづな」(「しめ」は注連、「かづな」は綱に関わる語かとも見えるが、切り方も断じきれない)、「これはあれはさのへエ」「エンヤルヨ」(木遣りの囃子詞と見た)。
流儀・稽古本によって仮名遣いや字句に異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。