恋の空蝉こいのうつせみ
作詞者・作曲者不詳 本文の題名「恋のうつせみ」

他に心を移した男を責める女の口説きを、激しい語調で描く。原典に〔フシ〕〔ヲトシ〕〔ハル〕〔一中ぶし〕〔ヲトシセメ〕などの節付けが細かく記され、語り物に近い性格をもつ。
あらすじ
恨めしいと思うのも、あなたを愛しく思うあまり。沢辺の蛍のように、あるとは見えて幻のような乱れ心。過ぎたことを口に出すたび、あの人の心はよそへ。「あだな恋路が得手で、口説き落とすのがご自慢か」と胸ぐらを取って引き立てる。神かけて言った約束を忘れたのか、私は忘れていないのに。二人の仲を羨ましく思い、我が身を恨めしく思う。なおも逆立つ思いのなかで、二股をかける男を連れ去ろうと褄を取る。乱れ髪の鋭さ、堅い車の片思い——ただあじきない世の中だと、語るのも涙ながらであった。
詞章と現代語訳
恨めしと思ふも君が愛しさの余りて我は身を焦がす
恨めしいと思うのも、あなたを愛しく思う気持ちがあふれるからこそ。私はこの身を焦がしています。
沢辺の蛍草隠れ、有るとは見えて幻のみだれ心ぞ浅ましき
沢辺の蛍が草隠れに光るように、あるとは見えて幻のような——この乱れ心の浅ましいことよ。
過ぎにしことを思ひだし言ふても言ふても外心
過ぎたことを思い出して言っても言っても、あの人の心はよそを向いたまま。
あだな恋路が得手物で、くどき落すが御自慢か
浮ついた恋路が得意で、女を口説き落とすのがご自慢ですか。
あの性悪な男めと、胸ぐら取りて引立てる、其の不勢おそろしや
あの性悪な男めと、胸ぐらを取って引き立てる。その激しいさまの恐ろしいこと。
おかしゃんせ何ぞいの
およしなさいな、何ですか。
よふも大事のすけなりさんを、おまへの殿御にゃわしゃどこまでも、ああならぬぞへ
よくもまあ、大事なあの方を。あなたの殿御には、私はどこまでも——ああ、そうはさせません。
未来をかけて神かけて言ふておいたはお忘れか
来世までもと神にかけて言っておいたことを、お忘れですか。
わしゃ忘れはせぬものを、さりとては
私は忘れてなどいないのに。それにしても。
おまへの肌のこのやや愛し殿御と二人の中に雌松姫松幾千代かけて羨まし、我は恨めし恋しき人に
あなたの肌に抱かれたこの子も愛しい。殿御と二人の仲に、雌松、姫松と幾千代もかけて——羨ましいこと。私は恨めしい、恋しいあの人に。
面差しの、にょうたにょうた花あやめ、いたいけ盛り手をひきつれてねんねんころころ
その面差しのよく似ていること、似ていること。花あやめのようないたいけ盛りの子の手を引き連れて、ねんねんころころと。
ののさまいくつ、ならなんなん、情の下に住む、それさ、これさ真実うやつらやつらや
「ののさま、いくつ」——子守唄の文句。情けの下に暮らしている。それさ、これさ、まことに、つらいこと、つらいこと。
なほも逆立つ其の有様、二道かくる徒し男を、連れゆかん小褄かいとり、しゃんなしゃんなしゃんな、後ろ影
なおも髪が逆立つようなそのさま。二股をかける浮気な男を連れて行こうと、褄をかいどって——しゃんな、しゃんな、その後ろ姿。
見るにするどき乱れ髪、堅い車の片思ひ、ただあぢきなき世の中や、語るも涙なりけらし
見るからに鋭い乱れ髪。堅い車の片輪ならぬ片思い。ただあじきないこの世の中よ——語るのも涙ながらであった。
この曲は詞章の出典が他と異なる。『徳川文芸類聚』第十 俗曲下所収『歌撰集』の本文(著作権消滅・本文の題名は「恋のうつせみ」)により、繰り返し記号は読みやすく展開した。
原典は総かな書きのため、読みやすさを考えて漢字を当てた箇所がある。
〔フシ〕〔ヲトシ〕〔ハル〕〔上ノギン〕〔一中ぶし〕〔ヲトシセメ〕はいずれも原典に記された節付けの指示。段の頭に置いて残した。
「空蝉」は蝉の抜け殻、転じてこの世やはかない身の意。源氏物語の巻名でもある。
「一中節」は都太夫一中に始まる浄瑠璃の一派。その節を借りた一段であることを示す。
「雌松姫松」は女松(赤松)。夫婦や母子の睦まじさをいう。
「ののさまいくつ」は子守唄の常套句。「ののさま」は月や仏を指す幼児語。
「堅い車の片思ひ」は「片輪」に「片思い」を掛ける言い回し。
作詞者・作曲者・初演年は原典に記載がない。流儀・稽古本によって字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。