藤舎の紋 藤舎名玄TOSHA MEIGEN ― 詞章ライブラリーへ戻る
清元

待人まちびと

清元  本名題『色山解深川』(いろのふじとけてふかがわ)  作詞者・作曲者・初演年不詳

待人 雪の河岸のもやい舟と梅に鶯
雪の河岸のもやい舟と梅に鶯

深川を舞台に、江戸へ帰り咲いた役者のお目見えを寿ぐ顔見世の一曲。待ち人の杜若と牡丹から、雪の夜、梅に鳴く鶯、永木河岸のもやい船、雪まろげの子らと二軒茶屋へ運び、「そもそも富が岡と申せしは」と寺社の縁起をもじって、三十三間堂の通し矢、海、富士、川口の送り迎えの船、八幡の鐘、仲町と、深川の東西南北を尽くす。踊りの門弟に船宿大和屋の内儀と来て、「おめでとうございます」の浄瑠璃の挨拶、富士と筑波、心の合った友千鳥の兄弟、雪を分けて咲く梅と続け、お目見えの口上、「一座の色も岩井月、その顔見世ぞ賑わしき」と結ぶ。大和屋は岩井家の屋号で、岩井一門の役者が江戸へ戻ったお目見えのための曲と見られるが、誰かは原典からは確かめられない。

あらすじ

待ち人を思う心は杜若の奥ゆかしい色、牡丹のような華やぎ、雪の夜にも梅に鳴く鶯のように。永木の河岸にもやう船、雪まろげで遊ぶ子ら、妹背のように並ぶ二軒茶屋。そもそも富が岡というところは、東に三十三間堂の通し矢、南は深い海、北に富士、西は川口で送り迎えの船が行き交い、撞いてくれるなと願う八幡の鐘、可愛い男といちゃつく仲町。踊りの門弟に、評判の船宿大和屋の内儀を連れて、江戸へ帰り咲いた人が浮かれてやって来る。浄瑠璃でおめでとうと挨拶し、夏には素顔を見せる富士と筑波、兄とも弟ともつかぬ友千鳥、雪を分けて咲く梅を寿いで、お目見えの口上、岩井の一座の顔見世の賑わいで結ぶ。

詞章と現代語訳

びとは〔合〕ゆかしきいろ杜若花かきつばた〔合〕るにこゝろ牡丹草ぼたんぐさ、ぬれておもひゆきも〔合〕きみゆゑならば〔合〕うめとり

待ち人は、奥ゆかしい色の杜若。見るにつけ心も牡丹草のように花やぎ、濡れて思う雪の夜も、君ゆえならば——梅に鳴く鶯のように。

をり永木ながきにもやひぶねいろまるめしにはゆき

折を長く待つ永木の河岸にもやう船。色で丸めた庭の雪(雪まろげ)。

たはれのいたづらも〔合〕さむいとはぬみちや、妹背いもせなら二軒茶屋にけんぢやや

戯れる男の子のいたずら(雪遊び)も、寒さをいとわず、道も狭いほど。妹背のように並ぶ二軒茶屋。

そもそもとみをかまうせしは〔合〕ひがしあたりて矢頃やごろよき、こひにはすゐとほと〔合〕みなみうみそこふかく〔合〕おもひ千尋ちひろ痴話ちわ口舌くぜつ〔合〕きたには峨々がゝたる不二ふじそびえ〔合〕西にし川口かはぐちきやくせて、

そもそも富が岡(深川の富岡八幡)と申すのは——東にあたって矢頃のよい三十三間堂、恋には粋を通し矢と。南は海の底深く、思いは千尋の痴話口舌。北には峨々たる富士がそびえ、西は川口、お客を乗せて。

おくむかひのふねうち〔合〕ついりやるな〔合〕八幡はちまんがねよ、可愛かはいをとこと〔合〕いちやつきは〔合〕うまい仲町なかちやうぢや〔合〕ないかいな、

送り迎えの船の内。撞いてくれるな八幡の鐘よ(夜明けを告げないで)。可愛い男といちゃつくのは——うまい仲の仲町ではないかいな。

流石さすがをどり門弟子もんでしとて、道草みちくさながらふりもよく〔合〕つれ船宿ふなやど大和屋やまとやの、内儀ないぎ御存知ごぞんじ評判ひやうばんの、今度こんど東都とうとかへざきうきうかれてきたりけり

さすが踊りの門弟だけあって、道草しながらも振りがよい。連れは船宿大和屋の内儀、ご存じ評判の——このたび東都へ帰り咲き、浮きに浮かれてやって来た。

ハイお目出めでたう御座ござりまするも浄瑠璃じやうるりで、挨拶あいさつするぞ道理だうりなり

「はい、おめでとうございます」と、浄瑠璃で挨拶するのも道理である。

なつれば〔合〕素顔すがほせん冨士ふじ筑波つくばうたよむひとふでずさみ〔合〕こひとや二道ふたみち

夏が来れば雪を脱いだ素顔を見せよう、富士と筑波——歌詠む人の筆のすさび。恋を知る身とて、二道を。

こゝろふた〔合〕とも千鳥ちどりいづあにともおとゝとも、いろうめゆきわけて、ゑみふくみしはなうつく

心の合った友千鳥——いずれを兄とも弟とも。色を添える梅が雪を分けて、笑みを含んだ花の美しさ。

今日けふ目見得めみえ口上こうじやうも、お馴染なじみだけにおさだまり、いはぬはいふますはなの、一座いちざいろ岩井いはゐづき顔見世かほみせにぎはしきにぎはしき

今日のお目見えの口上も、お馴染みだけにお定まり。言わぬは言うにまさる花の、一座の色も岩井月(祝い月)——その顔見世の賑わしいことよ、賑わしいことよ。

詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第三編 清元集(明治四十二年)の校訂本文(著作権消滅)による。繰り返し記号は読みやすく展開し、合方の指示は省いた。繰り返し記号は直前の語句を繰り返すものとして展開したが、どこまでを一語と見るかはこちらの判断による。

同じ曲は『柏葉集』にも収められている(目次・本文の題名『色山解深川(待人)』)。ここでは清元集の本文によった。原典の四行目は長いので、読みやすさのため読点の切れ目で三つの段に分けた(字句は同じ)。

深川の地名を詠み込む。「永木」は永木河岸で「長き」に掛ける。「二軒茶屋」は富岡八幡の境内にあった料理茶屋。「富が岡」は富岡八幡宮。「通し矢」は深川の三十三間堂の通し矢で、「粋を通す」に掛ける。「八幡鐘」は富岡八幡の鐘、「仲町」は深川の岡場所の一つで「うまい仲」に掛ける。「そもそも富が岡と申せしは、東に…南は…北には…西は」は、寺社の縁起を語る口調のもじり。

「船宿大和屋」の大和屋は岩井家の屋号として知られ、結びの「一座の色も岩井月」は岩井に「祝ひ月」を掛けたと見られる。「今度東都へ帰り咲」「今日お目見得の口上」「其の顔見世」から、上方などから江戸へ戻った岩井一門の役者のお目見えの曲と見られる。本名題の「色山解深川」は「色の富士解けて深川」と読ませ、富士の雪解けを「帰り咲き」に重ねたかと見えるが、断じきれない。「何れ兄とも弟とも」が兄弟の役者を指すかどうかも、原典からは確かめられない。

繰り返し記号は、直前の語句を繰り返すものとして展開した(そも/\、賑はしき/\)。

「言ぬは言に増花」は「言わぬは言うにまさる」の諺に花を掛ける。「夏来れば素顔や見せん冨士筑波」は、雪を脱いだ夏の富士と筑波を役者の素顔に掛けたかと見た。

語義や読みを定めがたい箇所は原典のまま残した。「杜若花」(かきつばたと読んだ)、「心も牡丹草」、「たはれ男の子のいたづら」(雪で遊ぶ子らと見た)、「恋知る身とや二道を」。

流儀・稽古本によって仮名遣いや字句に異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。