弥生やよい
作詞者・作曲者不詳

飛鳥山の花見の景に始まる、春を寿ぐ短い曲。江戸紫と路考茶の色合わせ、市松の丹前姿を偲び、末は雛まつりの楽しさで結ぶ。
あらすじ
春の景色を写して唄い謡おう。若草の萌える山々に霞が引き、その下に笑うように咲く桜の可愛らしさ。御代の治まるしるしと、雲居に飛ぶ鶴も嬉しい。御狩は今日か飛鳥山、花の木蔭に小袖幕を張りめぐらし、弾く三味線に舞う姿——蝶もともに来て舞っておくれ。今も変わらぬ江戸紫に、交じる路考茶がゆかしい。そもそも市松は六法の丹前羽織を伊達に着こなし、その姿が偲び草として残っている。忍ぶ春雨、小梅の寮に届く芝居の番付。炉塞ぎも過ぎて二の替り、女のする雛まつり——いずれ劣らぬ、春の楽しさである。
詞章と現代語訳
春の景色をうつしては、うたひ謡はん、若草萌えつ山々に、引ける霞の其の下に、笑ふ桜の可愛らし
春の景色を写して、唄い謡おう。若草の萌える山々に霞が引き渡り、その下に笑うように咲く桜の可愛らしいこと。
御代の治まるしるしと、雲井に飛べる鶴うれし、御狩は今日か飛鳥山、花の木蔭の小袖幕、弾く三味線に舞ふ姿、蝶も倶に来よ舞はん
御代の治まるしるしと、雲居に飛ぶ鶴の姿も嬉しい。御狩は今日であろうか、飛鳥山。花の木蔭に小袖幕を張りめぐらし、弾く三味線に合わせて舞う姿——蝶よ、おまえもともに来て舞っておくれ。
今も変らぬ江戸紫に、交る路考茶ゆかしけれ、そも市松は六法の、丹前羽織伊達に残りて偲び草
今も変わらぬ江戸紫に、交じり合う路考茶のゆかしさよ。そもそも市松は六方の丹前羽織を伊達に着こなし、その姿が今も偲び草として残っている。
忍ぶ春雨小梅の寮に、とどく芝居の番附や、炉塞ぎすぎて二の替、女のすなる雛まつり、何れ劣らぬ春ぞ楽しき
忍ぶ春雨のなか、小梅の寮に届く芝居の番付。炉塞ぎの季節も過ぎて二の替り興行、女たちのする雛まつり——どれも劣らぬ、春の楽しさである。
詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第二編 長唄集(明治四十二年刊・著作権消滅)所収の本文により、繰り返し記号は読みやすく展開した。
曲名は「弥生」だが、明治二十六年初演の「春興鏡獅子」(小姓弥生)とは別の曲である。
「飛鳥山」は江戸の桜の名所。八代将軍吉宗が桜を植えさせ、庶民の花見の地として賑わった。「御狩」は将軍の鷹狩をいう。
「小袖幕」は花見の席で、木の枝に綱を渡して小袖を掛け連ね、幕のかわりとしたもの。
「江戸紫」は江戸で染めた青みの紫。「路考茶」は二代目瀬川菊之丞(俳名路考)が流行らせた茶色。「市松」は初代佐野川市松のことで、その袴の模様から市松模様の名が起こった。いずれも当時の流行色・流行の風俗をさす。
「六方」は歌舞伎の荒々しい歩き方。「丹前羽織」は丹前風呂に通う伊達者の装い。
「小梅」は向島の小梅村。寮(別邸)の多い地であった。「二の替り」は正月興行に続く二番目の興行で、二月から三月にかけて行われた。「炉塞ぎ」は茶の湯で炉を閉じて風炉に替えること。三月末から四月の季語で、春の終わりをいう。
作詞者・作曲者・初演年は原典に記載がない。流儀・稽古本によって字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。