姿の花すがたのはな
作詞者・作曲者・初演年不詳 原典の題名「すがたの花」

ひとり思い焦がれる女の胸の内を、春の景に託して連ねた短い一曲。梅と鶯、水鏡、信夫の乱れと、恋のことばが次々に重なる。他の曲と異なり『徳川文芸類聚』所収の『歌撰集』による。
あらすじ
それにしても、ひとり焦がれるこの心の闇は晴れようもない。移ろうものは花の色。梅が香を求める鶯が谷から出てきて、まだ里に馴れないような辛気くささ。心をやるせがほんとうにないのです。水鏡に顔を映せば、見交わすほどの髪かたち。それにしても、ああ、この身の行方はどうなるのだろう。何を忍べというのか——信夫摺りの乱れ模様のような乱れ心は、いったい誰ゆえに。朝な夕なの物思い。汲み上げて訪ねてくれる人もなく、我が身はただひとり物を思う。思えば夢のようなこの世を知らずにいて——恋のしがらみよ、いっそ堰き止めてしまえ。
詞章と現代語訳
さりとては、ひとり焦がるる心の闇は晴れやらで
それにしても、ひとり思い焦がれるこの心の闇は、晴れようもなくて。
移ろふものは花の色、梅が香見んうぐひすの、谷より出でて、まだ里馴れぬしんき
移ろうものは花の色。梅が香を求めようという鶯が谷から出てきて、まだ里に馴れずにいる——そんな辛気くささよ。
心にやるせがほんにないぞへ
この心をやる瀬が、ほんとうにないのです。
水の鏡に顔見れば、見かはすほどの髪かたち
水鏡に顔を映してみれば、互いに見交わすほどの髪かたち。
さりとは、ああいかならん、身の行方
それにしても、ああ、どうなることか、この身の行方は。
何と忍ぶの、しのぶの乱れ、誰ゆゑに
何を忍べというのか。信夫摺りの乱れ模様のように乱れるこの心は、いったい誰ゆえに。
朝な夕なの物思ひ、誰汲み上げて訪ふ人も
朝な夕なの物思い。この胸の内を汲み上げて訪ねてくれる人も——。
我が身はひとり物思ふ
我が身はただひとり、物を思うばかり。
思へば夢の世をしらで、恋のしがらみ堰きとめよ
思えば夢のようなこの世を知らずにいて——恋のしがらみよ、いっそ堰き止めてしまえ。
この曲は詞章の出典が他と異なる。『徳川文芸類聚』第十 俗曲下所収『歌撰集』の本文(著作権消滅・原典の題名は「すがたの花」)により、繰り返し記号は読みやすく展開し、合方〔合〕の指示は省いた。
原典は総かな書きのため、読みやすさを考えて漢字を当てた箇所がある。
「心の闇」は子や恋人を思うあまり分別を失う心。古歌に多く詠まれる。
「梅が香」「うぐひす」「谷より出でて」は春の到来を告げる取り合わせ。谷を出た鶯がまだ里に馴れないさまに、我が身を重ねている。
「しのぶの乱れ」は信夫摺りの乱れ模様。伊勢物語の「春日野の若紫のすり衣しのぶの乱れかぎり知られず」を踏まえ、乱れ心をいう。「忍ぶ」を掛ける。
「汲み上げて」は水鏡の縁で「汲む」といい、心中を察するの意を掛ける。
「しがらみ」は流れをせき止めるために川中に渡した柵。恋を止めるものの譬えとして用いる。
作詞者・作曲者・初演年は原典に記載がない。流儀・稽古本によって仮名遣いや字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。