女車引おんなくるまびき
清元 本名題『五諸車引哉袖褄』(ごしょぐるまひくやそでつま) 作詞者・作曲者・初演年不詳

『菅原伝授手習鑑』の「車引」と「賀の祝」を、吉原の女三人に写したもじりの一曲。梅王・松王・桜丸の三つ子を、酒に顔を桜に染める女、笑い上戸の梅、拗ねる松の三人に見立て、「三人で二升三升五所車」と御所車を酒の升に掛けて起こす。源氏の文、酒の上の喧嘩と手打ち、惚れて惚れられての相惚れ、七十の賀の祝の雑煮の支度と嫁菜摘み、梅・桜・松になぞらえた三人の女房の心持ち、及ばぬ恋の願掛け、女房になりたい女の口説きへ運び、鹿島踊の祝い唄、傘に寄せた恋の言葉を経て、「夜毎にひかれ車引、評判吉原栄へける」と吉原の繁盛を寿いで結ぶ。
あらすじ
色香を争う車引の三人は、酒にほんのり顔を桜に染める女、笑い上戸の梅、拗ねる松。三人で二升三升、合わせて五升の五所車と、ふざけが高じてめりめり。源氏の文を繰り返す恋車、酒の上の喧嘩も仲裁に入って手を締める。惚れて惚れられての相惚れ、とどのつまりはどうなるか。古来まれな七十の賀の祝いとて、夜通し雑煮の支度、嫁菜を摘む姉妹、梅を待つ身、桜の八重、松の千代と、女同士の水仕事が賑やか。及ばぬ恋を神に願い、浮気な男と知りながら女房になりたい女の口説き。鹿島踊の「御代はめでたの若松様」、傘に寄せた恋の言葉とうたい、袖を連ねて夜ごとに客に引かれる車引の、評判の吉原の繁盛を寿ぐ。
詞章と現代語訳
色香争ふ車引〔合〕酒の機嫌かほんのりと〔合〕顔は桜になる目元、笑ひ上戸の梅にはかへて〔合〕味に強ねたる松の癖
色香を争う車引。酒の機嫌か、ほんのりと顔は桜色になる目元。笑い上戸の梅には引きかえて、妙に拗ねるのが松の癖。
アリヤアリヤ〔合〕コリヤコリヤ〔合〕
ありゃありゃ、こりゃこりゃ。
三人で二升三升五所車、戯が嵩じてめりめりめり
三人で二升、三升——合わせて五升の五所車(御所車)。ふざけが高じて、めりめりめり。
影をのみ見かはすばかりつれなきと、源氏の文を繰返し、翠簾の追風〔合〕恋車、酒が嵩じて喧嘩の種よさ扱に成済した、しやんしやんしやんと取なり可愛らし
「影ばかり見交わすだけでつれない」と源氏の文を繰り返し、御簾の追い風に恋車。酒が高じて喧嘩の種——さて仲裁役に成り済まし、しゃんしゃんしゃんと手を締める、その取りなりのかわいらしさ。
喧嘩過ての俚諺に、しかも鉄棒〔合〕二階を廻らしやりませうに〔合〕引かへて、艶めく声に人さんの、捨鉢者とおつもりが、あらば何うせう斯うなつて、しやうも色のお許を〔合〕
喧嘩過ぎての棒ちぎりの諺どおり、しかも鉄棒を引いて二階を回らせましょうに、それに引きかえて、艶めいた声で人さまに「捨て鉢者」と思われたら、どうしよう、こうなって——どうか色事のお許しを。
惚て惚られて合惚とやら、とゞつまりは何うなさる
惚れて惚れられて相惚れとやら。とどのつまりは、どうなさる。
お世話を焼くや〔合〕藻塩草、身の要心と言ひつゝも、重たい物を手古摺て、すぢりもぢりて来りける
お世話を焼くのは、藻塩草を焼くように。身の用心と言いながらも、重たい物をもてあまして、身をよじりよじりやって来た。
摘草やほんの嫁菜の兄弟が、思ひ思ひの料理草〔合〕
摘み草よ——ほんの嫁菜(嫁)の姉妹が、思い思いの料理の草。
古来稀なる七十の、賀の祝とて昨夜から、雑煮の仕度提灯で、もちと精出せ合点ぢや
古来まれなる七十の賀の祝いとて、ゆうべから提灯をともして雑煮の支度。「もっと(餅と)精を出せ」「合点じゃ」。
梅の殿振木振も粹な、殿御待つ身と春告草と、こちは遣瀬がないわいな
梅の殿振り、木振りも粋な殿御を待つ身と、春告草(梅)と。こちらはやるせないわいな。
八重に桜の仇名草、床し床しの積りて雪の〔合〕待つの操を立通し〔合〕変らぬ縁の千代見草、米炊味噌摺ぐわらぐわらぐわら女同士の水仕業、さても賑し面白や
八重に桜の仇名草。慕わしさが積もって雪のように、待つ(松)の操を立て通し、変わらぬ縁の千代見草(松)。米炊き、味噌すり、がらがらがら——女同士の水仕事、さても賑やかで面白い。
思ひ寝の誰にかたとへ自が、及ばぬ恋のかこち草、いつか逢瀬を神さんへ、無理な願をかけまくも
思い寝に、誰にたとえよう、わたしの及ばぬ恋のかこち草。いつか逢えるようにと神さまへ、無理な願いを、かけまくも(おそれ多くも)。
それではゆかぬ是斯うと、したした下々の口説き方、常から主の仇な気を
「それではいかぬ、これこう」と、「したした」下々の口説き方。ふだんから主の浮気な気性を。
知つて居ながら女房に、なつて〔合〕見たいの欲が出て、神や仏を頼まずに、義理も糸瓜の革羽織、親分さんのお世話にて〔合〕渡りもつけて〔合〕是からは、
知っていながら、女房になってみたいという欲が出て、神仏にも頼まず、義理も糸瓜もあるものかと、革羽織の親分さんのお世話で話もつけて、これからは。
世間関はず人さんの、前憚らず引寄て、楽しむ内に又外へ、しかも先月気紛れな、時分外れの雷が〔合〕ごろついた折オヽ恐と、
世間もかまわず、人さまの前もはばからず引き寄せて、楽しむうちに(男は)またほかへ。しかも先月、気まぐれな季節外れの雷がごろついた折に、「おお、怖い」と——
釣たる蚊帳が縁の端〔合〕それから闇と口癖に、森の小烏我は又、尾羽をからすの羽根ばたき
吊った蚊帳の中が縁の端(馴れ初め)。それからは「闇」が口癖で、森の小烏——わたしはまた、尾羽打ち枯らした烏の羽ばたき。
なぞと彼奴が得手物の、ひやかし唄を夕薬師〔合〕色観音や取持の、地蔵の顔も三度目は、道行気取で二人連
などと、あいつの得意のひやかし唄を言うや(夕薬師)、色の観音さまや取り持ちのお地蔵さまの顔も三度目は——道行気取りで二人連れ。
御代は目出度のナンナアナエこれはいな
御代はめでたの、なんなあなえ、これはいな。
若松様よ
若松さまよ。
おやもさもさ〔合〕鹿島浦にはナンアナエこれはいな
おやもさもさ、鹿島の浦には、なんあなえ、これはいな。
サアちへぼさゑコレハちよんねがナアンナアンヨ
さあ、ちえぼさえ、これは、ちょんねが、なあんなあんよ。
サア黄金柄杓でサア水さ汲ませうなナアンナアン
さあ、黄金の柄杓で、さあ、水を汲ませましょうな、なあんなあん。
そんなら誠に是が今年のナアンナエナアエ
そんならまことに、これが今年の、なあんなえなあえ。
これはいな、お暇乞のかん鹿島
これはいな、お暇乞いの、かん鹿島。
ヤレこれが今年のナアンナエナアエ
やれ、これが今年の、なあんなえなあえ。
これはいな、お暇乞のかん鹿島
これはいな、お暇乞いの、かん鹿島。
エヽやれヨオイ
ええ、やれ、よおい。
ぬれて見よかし目せき笠
濡れてみるがよい、目堰笠。
恋の言葉を傘によそへて言なら〔合〕ぬれてしつぽり心のたけを、わつて轆轤のゑにしさへ〔合〕いとしいとしと焦れてそして、晴れて青紙楽しみに、いつかは君が軒の妻、それも誓ひし神さんの、結ぶ縁ぢやないかいな、睦ましや
恋の言葉を傘になぞらえて言うのなら——濡れてしっぽり、心のたけを割って、轆轤の縁さえ。いとしいとしと焦がれて、そして晴れて青紙の楽しみに、いつかはあなたの軒の妻に。それも誓った神さまの結ぶ縁ではないかいな。睦まじいことよ。
袖をつらねて万客の、夜毎にひかれ車引、評判吉原栄へける
袖を連ねて万の客に、夜ごとに引かれる車引——評判の吉原は栄えることよ。
詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第三編 清元集(明治四十二年)の校訂本文(著作権消滅)による。繰り返し記号は読みやすく展開し、合方の指示は省いた。繰り返し記号は直前の語句を繰り返すものとして展開したが、どこまでを一語と見るかはこちらの判断による。
資料は本名題の読みを「ごしょぐるまひけやそでつま」とする。原典の十四行目は長いので、読みやすさのため読点の切れ目で三つの段に分けた(字句は同じ)。
『菅原伝授手習鑑』のもじり。「車引」は、梅王丸・松王丸・桜丸の三つ子が吉田社頭で時平の牛車を止めて争う場、「賀の祝」は、三つ子の父白太夫の七十の祝いに、三人の嫁(梅王の女房春、松王の女房千代、桜丸の女房八重)が集まって料理をする場。この曲は三つ子を酒に酔う吉原の女三人に写し、「春告草」(梅)・「八重に桜」・「千代見草」(松)で三人の嫁を詠み込む。「五所車」は御所車に、二升と三升を合わせた五升を掛ける。
「古来稀なる七十」は杜甫の詩の「人生七十古来稀なり」による(古希)。「喧嘩過ての俚諺」は「喧嘩過ぎての棒ちぎり」。「地蔵の顔も三度目」は「仏の顔も三度」のもじり、「夕薬師」は「言うや」に夕方の薬師参りを掛けたと見た。「尾羽をからす」は「尾羽打ち枯らす」に烏を掛ける。
「御代は目出度の…若松様よ」「鹿島浦には」「黄金柄杓で水さ汲ませう」「お暇乞のかん鹿島」は、鹿島踊の祝い唄の文句と見られる。「目せき笠」から「青紙」「軒の妻」までは、傘の縁語(濡れる・轆轤・青紙・軒)で恋を言う傘尽くし。
繰り返し記号は、直前の語句を繰り返すものとして展開した(アリヤ/\、めり/\/\、しやん/\/\、床し/\、思ひ/\、ぐわら/\/\、ナアン/\、いとし/\)。「した/\下々」は「したした」、「おやもさ/\」は「もさ」を繰り返して「おやもさもさ」と見たが、どこまでを一語と見るかはこちらの判断による。
原典の用字「粹」「何う」「斯う」「強ねたる」「釣たる」「言うなら」「すぢりもぢり」はそのまま残した。
語義や切り方を定めがたい箇所は原典のまま残した。「喧嘩の種よさ扱に成済した」(「種よ、さ、扱ひに」と見て訳したが、切り方を断じきれない)、「鉄棒二階を廻らしやりませう」、「捨鉢者とおつもり」、「しやうも色のお許を」、「したした」、「ちへぼさゑ」「ちよんねが」「かん鹿島」(囃子詞と見た)、「わつて轆轤のゑにし」。
流儀・稽古本によって仮名遣いや字句に異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。