四季の山姥しきのやまんば
別題「新山姥」 資料の題名読み「しきのやまうば」

山に住む山姥が、遊女八重桐であった昔を四季の景に重ねて語る。末は怪童丸を相手にした山めぐりとなり、大木をねじ切って庵に帰る。
あらすじ
世間の暮らしも知らぬ山住まいの身が、昔は流れの勤めであったと語りはじめる。春は八重霞に八重桐と呼ばれた廓の日々、夏は蚊帳のうちの月影、秋は縁先の三味線と、乱れ髪を簪でかき上げての畳算、眠る禿への無理。虫の音と砧に思いを重ねる。二上りでは袖が浦の眺め——白帆、千鳥、蜆採り、澪標、烏の声、海苔の篊をめぐる海士小舟、浮絵のような安房上総。三下りの冬は谷間の冬籠り、梅の莟と雪の軒端に松風が吹き落ちて、散る雪が胡蝶に見える。末は山めぐりの力業、大木をふつとねじ切って谷の庵に座を占め、幾年月を送るのであった。
詞章と現代語訳
遠近の生活も知らぬ山住居、我も昔は流れの身、狭き庵に見渡せば、春は殊更八重霞、其の八重桐の勤めの身、柳桜をこき交ぜて、都ぞ春の錦着て、手練手管の客をまつ
遠く近くの世間の暮らしも知らぬ山住まい。この私も昔は流れの身であった。狭い庵から見渡せば、春はことさら八重霞——その名も八重桐と呼ばれた勤めの日々。柳と桜をこきまぜて都は春の錦、その錦を身にまとい、手練手管で客を待った。
夏は涼しの蚊帳の内、比翼の蓙に月の影、秋はさながら椽先に、三味線ひいてしんき節
夏は涼しい蚊帳のうち、比翼の蓙に月の影が差す。秋はそのまま縁先で、三味線を弾いてしんき節を口ずさむ。
髪の乱れを簪で、かき上げながら畳算、眠る禿に無理ばかり、ほんに辛いぢやないかいな
乱れた髪を簪でかき上げながら、畳の目を数えて恋を占う。眠たがる禿には無理ばかり言って——ほんに辛いではないか。
同じ思ひは鳴く虫の、松虫鈴虫轡虫、馬追虫のやるせなく何れの里に衣うつ、よくも合せたものかいな
同じ思いで鳴く虫の、松虫・鈴虫・轡虫、馬追虫の声もやるせない。どこの里で衣を打つ砧の音か。よくも取り合わせたものだ。
ふりさけ見れば袖が浦、沖に白帆や千鳥たつ、蜆とるなる様さへも、あれ遠浅に澪標、松棒杭のがれ来て、ませた烏が世の中を、阿呆阿呆と笑ふ声、立てたるしびにつく海苔を、とりどり廻る海士小舟、うき絵に見ゆる安房上総
ふり仰いで見れば袖が浦。沖に白帆が浮かび、千鳥が立つ。蜆を採る人の姿までも絵のようで、ほら遠浅に澪標。松の棒杭を逃れてきて、ませた烏が世の中を阿呆阿呆と笑う声。立ててある篊につく海苔を、とりどりに巡る海士の小舟。浮絵に見るような安房上総の眺めである。

冬は谷間に冬籠る、まだ鶯のかた言も、梅の莟の華やかに、雪を頂く草屋の軒端、あだな松風ふき落して、ちりやちりやちりちりちりちりパツト散るは胡蝶に似たる景色かな
冬は谷間に冬籠り。まだ鶯の片言も聞かれぬころ、梅の莟だけが華やかに。雪を頂く草屋の軒端に、いたずらな松風が吹き落として、ちりやちりや、ちりちりちりちり、ぱっと散るさまは、胡蝶に似た景色であることよ。
アラ面白の山めぐり、どつこいやらぬと取手の若木、此方は老木の力業、中よりふつとねぢ切る大木、かけりかけりて谷間の、谷の庵に晏然と、其のまま其処に座をしめて、幾年月を送りけり
ああ面白い山めぐり。どっこい行かせぬと取りつく若木、こちらは老木の力業。大木を真ん中からふっとねじ切って、飛び翔け飛び翔けて谷間の、谷の庵に晏然と、そのままそこに座を占めて、幾年月を送ったのであった。
詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第二編 長唄集(明治四十二年刊・著作権消滅)所収の本文により、繰り返し記号は読みやすく展開した。合方(〔合〕)の指示は省いている。
〔 〕で括った調子の名は原典のまま。
「八重桐」は山姥の前身とされる遊女の名。能の「山姥」に取材した舞踊の系統では、廓の勤めを捨てて山に入った女とし、怪童丸(のちの坂田金時)を育てたとする。
「畳算」は畳の目を数えて吉凶や恋の首尾を占うもの。「禿」は遊女に付いて雑用をする少女。
「しんき節」は当時の流行唄。「衣うつ」は砧で布を打つこと。秋の夜のさびしさをあらわす。
「袖が浦」は江戸湾の古称。「しび」は海苔を養殖するために立てる篊のこと。「うき絵」は西洋の遠近法を取り入れた浮世絵版画。
作曲年・初演は原典に記載がない。流儀・稽古本によって字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。