喜撰きせん
変化舞踊「六歌仙容彩」の一 清元との掛合

六歌仙のひとり喜撰法師が、茶汲み女のお梶に懸想して浮かれ歩く。清元と長唄の掛合で演奏され、後半は「ちょぼくれ」の軽妙な節にのせた歌念仏となる。
あらすじ
喜撰法師が「わが庵は」の古歌をもじりながら、浮世を離れた里と称して芝居町をうろつく。お梶に見とれて簾のうちを覗き、口説きにかかる。惚れすぎて愚痴になる自分を持て余し、じれったさに揺れる。やがて長屋の連中に冷やかされ、「色の世界に出家を遂げる」と開き直って、ちょぼくれの歌念仏を語りはじめる。宇治山の庵、廓の恋、如来も床急ぎと戯れつつ、住吉の岸の姫松を寿ぎ、天下泰平を祈って庵へ帰る。
詞章と現代語訳
我が庵は、芝居の巽常盤町、而も浮世を離れ里
「わが庵は都の辰巳」ならぬ、芝居町の辰巳の常盤町。しかも浮世を離れた里だなどと言ってみる。
世事で丸めて、浮気でこねて、小町桜の詠に飽かぬ、彼奴にうっかり眉毛を読まれ
世辞で丸めて浮気でこねて。小町桜の眺めにも飽きないが、あいつにうっかり心を読まれてしまった。
法師法師は啄木鳥の、素見ぞめきで帰らりょか
「法師、法師」と啄木鳥のように呼ばれて、ただ冷やかして歩くだけで帰られようか。
わしは瓢箪
わたしは瓢箪。
浮く身ぢゃけれど
水に浮くばかりの浮ついた身だけれど。
主は鯰の取り所
あなたは鯰。瓢箪で鯰を押さえるように、捕らえどころがない。
ぬらりくらりと今日も復、浮れ浮れて来りける
ぬらりくらりと、今日もまた浮かれ浮かれてやって来たのであった。
若しやと簾を余処ながら
もしやと、簾のうちをそれとなく覗いてみる。
喜撰のはなが
喜撰——上等の茶の名でもあるが、その花のような。
茶の給仕
茶の給仕をしている。
浪たつ胸を押撫でて、締りなけれど鉢巻を、幾度しめて水馴棹
波立つ胸を押しなでて、締まりのない身ではあるが鉢巻を幾度も締め直す。水馴れ棹のように。
濡れて見たさに手を取りて、小野の夕立縁の時雨
濡れ事をしてみたさに手を取って——小野の夕立、縁側の時雨。
化粧の窓の手を組んで、どう見直して胴振ひ
化粧をする窓辺で腕を組み、どう見直してみても身震いするほど。
今日の御見の初昔
今日お目にかかった、その初昔——茶の銘にもかけて。
悪性と聞いて此の胸が、朧の月や松の影
浮気者だと聞いてこの胸は、朧月にかかる松の影のように曇る。
私やお前や政所、いつか果報も一森と、誉められたさの身の願ひ
私もあなたも御台所のように、いつか果報にも恵まれてと。人に誉められたいばかりの、この身の願い。
惚れ過ぎる程愚痴な気に
惚れすぎるほどに、愚痴っぽい気持ちになって。
心の底の知れかねて
相手の心の底も知れずに。
自烈度では
じれったくは。
ないかいな、何故惚れさせたこれ姉女
ないだろうか。なぜ惚れさせたのだ、これ、姐さん。
自惚すぎた悪洒落な、わっちもそんなら勢肌、五十五貫でやらうなら
自惚れすぎた悪ふざけを。わたしだってその気になれば伊達な気性。五十五貫でやろうというなら。
廻りなんしへ、ぐわらぐわら鉄棒に
お廻りなさいな。がらがらと鉄棒を鳴らして。
路次はしまりやす
路地はもう閉まりますよ。
長屋の姉女が、鉄砲絞の半襟か、花見の煙管ぢゃあるめへし、素敵に首に搦んだは、廊下鳶が油揚げさらひ、お隣の華魁へ、知らねへ顔もすさまじい
長屋の姐さんが、鉄砲絞りの半襟か、花見の煙管でもあるまいし。えらく首に搦みついたものだ。廊下鳶が油揚げをさらうように、お隣の花魁のところへ——知らん顔をしているのも図々しい。
何だか高い観音さんの
なんだか高い観音様の。
鳩は五十や三重の、塔の九輪へとまりやす
鳩は五十羽か。三重の塔の九輪にとまっております。
粋と言はれて浮いた同士
粋だと言われて浮かれ合う者同士。
ヤレ色の世界に出家を遂げる、ヤレヤレヤレヤレ細かにちょぼくれ
やれ、色の世界で出家を遂げるとしよう。やれやれやれやれ、細かにちょぼくれを。
愚僧が住家は、京の巽の世を宇治山とは、人は言ふなり
拙僧の住まいは京の辰巳。世を憂しと厭う——その宇治山だと、人は言っているそうな。
ちゃちゃくちゃ茶ゑんの咄す濃茶の縁の橋姫、夕べの口舌の袖の移り香、花橘の名小島が崎より、一散走りに走つて戻れば
ちゃちゃくちゃと茶店で話す濃茶の縁、宇治の橋姫。ゆうべの痴話喧嘩の袖の移り香、花橘の名に負う小島が崎から、一散に走って戻れば。
内の嬶が悋気の角文字、牛も涎を流るる川瀬の口説けば内へ、我から焦るる蛍を集めて手管の学問
家の女房が焼き餅の角を出す——その角文字から牛、牛も涎を流すという流れる川瀬。口説けば内へ、みずから焦がれる蛍を集めて、手管の学問といこう。
唐も日本も廓の恋路が、山吹流しの水に照そふ旭のお山、誰でも彼でも二世の契は平等院とや、されとは是はうるさいこんだに
唐も日本も廓の恋路は同じこと。山吹を流す水に照り添う朝日山。誰も彼もと二世の契りを結ぶのは平等院——誰にも平等とは、これはうるさいことだ。
奇妙頂礼どら如来
奇妙頂礼、どら如来。
衆生手だての歌念仏
衆生を導く方便としての歌念仏。
釈迦牟尼仏も床急ぎ、抱いて涅槃の長枕、睦言がはりのお経文
釈迦牟尼仏も床を急ぎ、抱いて涅槃の長枕。睦言がわりのお経文。
なまいだなまいだなまいだ
なむあみだ、なむあみだ、なむあみだ。
何故に届かぬ我が思ひ、ほんにサ
どうして届かないのだろう、この思いは。ほんにさ。
忍ぶ恋には如来まで、来て見やしゃんせ阿弥陀笠、黄金の肌で有難や
忍ぶ恋には如来までも。来てご覧なさいな、阿弥陀笠をかぶって。黄金の肌のありがたいこと。
なまいだなまいだなまいだ
なむあみだ、なむあみだ、なむあみだ。
何故に届かぬ我が思ひ、ほんにサ、ここに極まる楽しさよ
どうして届かないのだろう、この思いは。ほんにさ。ここに極まる楽しさよ。
難波江の片葉の葦の結ぼれかかり、アレサコレハサ
難波江の片葉の葦のように、思いも結ぼれてほどけない。あれさ、これはさ。
解けてほぐれて逢ふことも、待つに甲斐ある
解けてほぐれて逢うことも、待った甲斐がある。
ヤンレ夏の雨
やんれ、夏の雨。
やあとこせよいやな、ありゃりゃ、これはいな、この何でもせ
やあとこせ、よいやな。ありゃりゃ、これはいな、この何でもせ。(囃し詞)
住吉の岸辺の茶屋に腰うちかけて、ヨイヤサコレハサ
住吉の岸辺の茶屋に腰を掛けて。よいやさ、これはさ。
松で釣ろやれ蛤を、逢ふて嬉しき
松で釣ろうよ蛤を。逢えて嬉しい。
ヤンレ夏の月
やんれ、夏の月。
姉さん音上げかへ、島田金谷は川の間、旅籠は鐚でお定まり、お泊りならば泊らんせ、お風呂もどんどんわいてある、障子も此頃張替へた
姐さん、音を上げましたか。島田と金谷は大井川を挟んだ宿場。旅籠代は鐚銭でお定まり。お泊まりならばお泊まりなさいな。お風呂もどんどん沸いております。障子もこのごろ張り替えました。
畳も此の頃替へてある
畳もこのごろ替えてあります。
お寝間の伽をまけにして
お寝間のお相手をおまけにして。
草鞋の紐の仇解けの、結んだ縁の一夜妻、あんまり悪うも
草鞋の紐がふと解けるように結ばれた縁の一夜妻。あんまり悪くも。
あるまいかても
あるまいけれども。
さうだろさうだろさうであろ
そうだろう、そうだろう、そうであろう。
住吉様の岸の姫松目出度さよ、いさめの御祈祷、天下泰平国土安穏目出度さよ
住吉様の岸の姫松のめでたさよ。神を慰める御祈祷、天下泰平、国土安穏のめでたさよ。
来世は生を黒牡丹、己が庵へ帰り行く
来世は黒牡丹——すなわち牛にでも生まれ変わろうかと言いながら、おのが庵へと帰っていく。
詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第二編 長唄集(明治四十二年刊・著作権消滅)所収の本文により、繰り返し記号は読みやすく展開した。合方(〔合〕)の指示は省いている。
〔 〕で括った段の名は、読みやすさのために補ったもの。原典にはない。
変化舞踊「六歌仙容彩」の一。喜撰法師と茶汲み女お梶の掛合で、清元と長唄が交互に受け持つ。
「わが庵は都の辰巳しかぞ住む世をうぢ山と人はいふなり」(喜撰法師)を全曲の軸として、繰り返しもじる。
「喜撰」は宇治の上等な茶の銘でもある。茶屋の女に懸想する趣向と掛かる。
「瓢箪で鯰を押さえる」は要領を得ないことの譬え。
「ちょぼくれ」は門付け芸の一つで、早口の節にのせて世相を語る。後半の歌念仏はこの調子による。
「難波江の片葉の葦」「住吉の岸の姫松」はいずれも摂津の歌枕。末は住吉の神を寿いで結ぶ。
「黒牡丹」は牛の異名。
作詞者・作曲者・初演年は原典に記載がない。流儀・稽古本によって字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。