藤舎の紋 藤舎名玄TOSHA MEIGEN ― 詞章ライブラリーへ戻る
長唄

勧進帳かんじんちょう

三世並木五瓶 作詞  四世杵屋六三郎(六翁) 作曲  天保十一年(一八四〇)三月 江戸河原崎座

勧進帳 旅の衣は篠懸の
旅の衣は篠懸の

能「安宅」に基づく松羽目物。七世市川団十郎が歌舞伎十八番の一つとして初演した。山伏に身をやつした義経主従が安宅の関を越える一段で、弁慶の勧進帳読み上げ、山伏問答、主君への打擲、延年の舞と続く。

あらすじ

兄・頼朝に追われる義経一行は、山伏の姿で北陸道を下る。安宅の関で関守・富樫左衛門に呼び止められた弁慶は、白紙の巻物を勧進帳と偽って高らかに読み上げ、山伏の道を説いて切り抜ける。ところが強力に身をやつした義経が疑われると、弁慶は主君を金剛杖で打ち据えてまで難を逃れる。関を出たのち、弁慶は落涙し、義経は主従の労苦をねぎらう。富樫のすすめる酒を受けた弁慶は延年の舞を舞い、暇を告げて陸奥へと下っていく。

詞章と現代語訳

〔次第〕

たびころも篠懸すずかけの、旅の衣は篠懸の、つゆけきそでやしぼるらん

旅の衣は山伏の篠懸。旅の衣は山伏の篠懸。露に濡れたこの袖を、いくたび絞ることだろうか。

〔本調子〕

ときしもころ如月きさらぎの、時しも頃は如月の十日とをか

折しも時は二月の、折しも時は二月の十日の夜。

つきみやこ立出たちいでて

月の美しい都を後にして旅立ち。

これやこのくもかへるもわかれては、るも知らぬも逢坂あふさかの、やまかくすかすみはるはゆかしける、波路なみぢはるかにふねの、海津かいづうらにつきにけり

これがあの、行く人も帰る人もここで別れ、知る人も知らぬ人もここで逢うという逢坂の関。山を隠す霞こそ春の趣というもの。波路をはるかに行く船は、やがて海津の浦に着いたのであった。

いざとほらんと旅衣たびごろもせき此方こなたたちかかる

さあ通り抜けようと、旅装のまま関所の手前に立ちどまる。

〔山伏問答〕

山伏やまぶしとはいつぱえん優婆塞うばそく行儀ぎやうぎけ、即心即仏そくしんそくぶつ本体ほんたいここにてちとめたまはんこと、明王みやうわう照覧せうらんはかりがたなう、熊野権現くまのごんげん御罰ごばちあたらんこと、立所たちどころおいうたがひあるべからず、おんあびらうんけんと、数珠じゆずさらさらと押揉おしもんだり

そもそも山伏とは、役の行者の行儀を受け継ぐ者。即心即仏そのものであるこの身を、もしここで討ち取られるならば、不動明王のご照覧は測り知れず、熊野権現の罰が下ることは、たちどころに疑いない——オン・アビラウンケン、と数珠をさらさらと押し揉んだ。

勧進帳 勧進帳の読み上げ
勧進帳の読み上げ
〔勧進帳〕

もとより勧進帳くわんじんちやうのあればこそ、おひうちより往来わうらいの、巻物まきもの一巻ひとまき取出とりいだし、勧進帳くわんじんちやうづけつつ、たからかにこそげけれ

もとより勧進帳などあろうはずもないが、あるかのように装って、笈の中から手紙用の巻物を一巻取り出し、これを勧進帳と称して、高らかに読み上げたのであった。

てんにもひびけとげたり

天にも響けとばかりに読み上げた。

感心かんしんしてぞえにける

富樫はいたく感じ入った様子であった。

士卒しそつはこ広台ひろだいに、白綾袴しろあやばかまひとかさね、加賀絹かがぎぬあまたそろへ、御前ごぜんへこそはなほしけれ

兵たちが運ぶ広台には、白綾の袴を一重ね、加賀絹をたくさん取り揃えて、山伏たちの前に据えたのであった。

こはうれしやと山伏やまぶし静々しづしづつてあゆまれけり

これはありがたいと、山伏たちも静かに立ち上がって歩き出した。

勧進帳 金剛杖の打擲
金剛杖の打擲
〔強力の疑い〕

すはやきみあやしむるは、一期いちご浮沈ふちんここなりと各々おのおのあとへたちかへる

さては我が君が怪しまれたか、一生の浮沈はまさにこの一瞬と、めいめい後ろへ引き返す。

金剛杖こんがうづゑをおつりて、さんざんに打擲ちやうちやく

弁慶は金剛杖をひっ掴み、主君を散々に打ち据える。

とほれとこそはののしりぬ

「行け」と罵り立てたのであった。

方々かたがた何故なにゆゑに、斯程かほどいやしき強力がうりきを、太刀たちかたなたまふは、だれがほ振舞ふるまひ臆病おくびやういたりかと、みな山伏やまぶし打刀うちがたなきかけて、いさみかかれる有様ありさまは、いかなる天魔鬼神てんまきじんも、おそれつべうぞえにける

「方々はなぜ、これほど卑しい強力ごときに太刀を抜かれるのか。締まりのない振る舞い、臆病の至りではないか」と、山伏たちは皆いっせいに刀を抜きかけ、勇み立って向かってくる。そのさまは、いかなる天魔鬼神といえども恐れずにはいられないほどであった。

士卒しそつをひきつれ関守せきもりは、もんうちにぞりにける

関守・富樫は兵を引き連れて、門の内へと入っていった。

勧進帳 延年の舞
延年の舞

ついにはかぬ弁慶べんけいも、一期いちごなみだ殊勝しゆしようなる、判官はうぐわん御手おんてたま

ついぞ泣いたことのない弁慶も、一生に一度の涙を流す——その姿こそ殊勝である。判官はその手を取られて。

〔判官落〕

よろひにそひじ袖枕そでまくら、かたしくひまもなみうへ、あるときふねにうかび、風波ふうはをまかせ、またあるとき山背やませの、馬蹄ばていえぬゆきなかに、うみすこしあり夕波ゆふなみの、ちくるおと須磨すま明石あかし兎角とかく三歳みとせほどもなく、いたはしやと、しをれかかりし鬼薊おにあざみしも露置つゆおばかりなり

鎧に添い寝し、袖を枕に片敷いて休む間もなく波の上。ある時は船に浮かんで風波に身をまかせ、またある時は山背の、馬の蹄も見えぬ深い雪のなか。海はわずかに見え、夕波の打ち寄せる音は須磨・明石。とかくするうちに三年の月日も瞬く間に過ぎた。いたわしいことよと、萎れかかった鬼薊——強者の弁慶にさえ、霜に露が置くように涙がこぼれるばかりであった。

たがひそできつれていざさせたまへの折柄をりから

互いに袖を引き合って「さあお立ちください」と促す、ちょうどその折に。

〔二上り・酒宴〕

にげにこれも心得こころえたり、ひとなさけさかづきをうけてこころをとどむとかや

なるほどこれも心得のあること。人の情けの盃を受けて、その場に心をとどめるというではないか。

いまむかしかたぐさ

今となっては昔の語り草である。

勧進帳 飛び六方
飛び六方

あらはづかしのこころ一度ひとたびまみえしをんなさへ

ああ、恥ずかしい我が心よ。ひとたび逢った女のことさえ。

まよひみちせきえて、いままたここにえかぬる

迷いの道の関を越えて、今またここでも越えあぐねている。

人目ひとめせきのやるせなや

人目という関の、なんとやる瀬ないことよ。

アアさとられぬこそ浮世うきよなれ

ああ、悟りきれないのが浮世というものだ。

面白おもしろ山水さんすゐに、面白や山水にさかづきうかべては、ながれにひかるる曲水きよくすゐの、まづさへぎるそでふれて、いざやまひをまはうよ

おもしろや、山水に。おもしろや、山水に盃を浮かべれば、流れに引かれてめぐる曲水の宴。まず手でさえぎろうとして袖が触れる——さあ、ひとさし舞うとしよう。

勧進帳 安宅の関の弁慶
安宅の関の弁慶
〔舞・延年〕

もとより弁慶べんけい三塔さんたふ遊僧いうそう舞延年まひえんねんとき和歌わか

もとより弁慶は比叡山三塔の遊僧。延年の舞を舞うときの和歌を口ずさむ。

これなる山水さんすゐちていはほひびくこそ、るはたきみづ、鳴るは瀧の水

ここなる山水が落ちて巌に響くその音こそ——鳴るは滝の水、鳴るは滝の水。

〔滝流し〕

るはたきみづるともえずとうたり、とくとくつやたつゆみこころゆるすな関守せきもり人々ひとびといとままうしてさらばよとて、おひをおつかたちかけ

鳴るは滝の水。日は照っても絶えることなく、とうとうと流れつづける。さあ早く、早く立とう——弓の束のように。心を許すなよ、関守の人々に。「おいとま申す、さらば」と言って、笈をひっ掴んで肩に打ちかけ。

とらみ、毒蛇どくじやくちのがれたる心地ここちして、陸奥みちのくくにへぞくだりける

虎の尾を踏み、毒蛇の口を逃れたような心地で、一行は陸奥の国へと下っていったのであった。

詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第二編 長唄集(明治四十二年刊・著作権消滅)所収の本文により、繰り返し記号は読みやすく展開した。合方(〔合〕)の指示は省いている。

〔 〕で括った段の名は、読みやすさのために補ったもの。原典にはない。

能「安宅」に基づく。歌舞伎十八番の一つで、七世市川団十郎が父祖の芸を集大成した。

「篠懸」は山伏が衣の上に着る麻の法衣。旅装の象徴として冒頭に置かれる。

「勧進帳」は寺社の造営費を募るための趣意書。弁慶が読み上げるのは実は白紙の巻物。

「役の優婆塞」は修験道の開祖・役小角。「おんあびらうんけん」は大日如来の真言。

「鬼薊」は棘の多い薊。剛毅な弁慶を譬えて、その落涙の意外さを際立たせる。

「三塔の遊僧」の三塔は比叡山の東塔・西塔・横川。延年は寺院で法会のあとに演じられた歌舞。

終曲の「滝流し」は長唄屈指の聞かせどころ。「日は照るとも絶えずとうたり」は延年の舞の和歌による。

流儀・稽古本によって仮名遣いや字句に異同がある。演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。