傾城道成寺けいせいどうじょうじ
本名題「無間鐘新道成寺」 別題「中山道成寺」「新道成寺」

道成寺物の一。舞台を遠江の小夜の中山に移し、無間の鐘の伝説と重ねる。前半は「花の外には松ばかり」の名句、後半は無間地獄の責め苦を描いて終わる。
あらすじ
この世になきがらとなった身が、愛しい男を娑婆に置いて死出の山を彷徨う。懺悔に中山寺へ詣で、宮人の烏帽子を借りて舞いはじめる。「花の外には松ばかり」といろは歌に無常を重ね、幼い日から遊女となるまでを語る。人々が眠る隙をうかがい、鐘の龍頭に手をかけて姿を消す。所化たちの祈りに鐘は釣鐘堂へ引き上げられ、朧月の下に女が現れて口説く。末は無間の鐘の恐ろしさ、修羅の太鼓、剣の山、鉄の嘴の烏——地獄のありさまを描いて、定めなき身の浅ましさを嘆く。
詞章と現代語訳
われは此世になきがらの、そのままならぬその中に、かはい男をしゃばに置き、思ひがけなき死出の山、まよふが中のまよひとは、千々に物こそ悲しけれ
私はもうこの世に亡骸となった身。それも思うにまかせぬまま、愛しい男をこの世に置いて、思いがけない死出の山路へ。迷いのなかのさらなる迷いとは——千々に心が乱れて悲しいことよ。
仏の道のうとければ、つらい勤めの送る身の、月はほどなく入汐の、煙みちくる小松原、懺悔に罪もはれなんと、中山寺にまゐりけり
仏の道には縁遠く、つらい勤めに日を送る身。月はほどなく入り、潮も満ちて、煙の立ちこめる小松原。懺悔によって罪も晴れようかと、中山寺へ参ったのであった。
嬉しやさらば舞はんとて、あれにまします宮人の烏帽子をしばし借りに着て、すでに拍子をはじめけり
嬉しいこと、それでは舞いましょうと、そこにおられる宮人の烏帽子をしばし借りて身につけ、はやくも拍子を踏みはじめたのであった。
花の外には松ばかり、暮れそめて鐘や響くらん
花のほかには松ばかりの景色。日が暮れそめて、鐘が響いてくることだろう。
色は匂へど散りぬるを、我が世誰ぞ常ならん、人里遠き鐘の声、諸行無常の世の中に、恋はまことの菩提の道へ、ひかるるまでの糸竹や
色は匂えど散ってしまうもの、この世で誰が常であろうか——いろは歌のとおり。人里遠く響く鐘の声。諸行無常の世の中で、恋こそがまことの菩提の道へと導いてくれる。そこへ引かれてゆくまでの、糸竹の調べよ。
われも昔はみな人ごとに、娘娘とたくさんそうに言うてたもんな、手習ならひ琴もおぼえ、物縫ひならひ、やがて殿御と添寝の枕
私も昔は、誰もが口々に「娘、娘」とちやほや言ってくれたもの。手習いを習い、琴も覚え、裁縫も習って、やがて殿御と添い寝の枕を交わすようになった。
二人寝がちに引きしめて、いと騒々しき風のまに、霞たなびく峰の雲
二人寝がちに引き寄せて。ひどく騒がしい風の合間に、霞たなびく峰の雲。
甍ならべし此の寺は、小夜の中山と承り、初めて伽藍成就の、あまねく十方輝けばとて光明山とは名付けたり
甍を並べたこの寺は、小夜の中山にあると承る。はじめて伽藍が成就したとき、あまねく十方を照らし輝いたことから、光明山と名づけられたという。
山寺の春の夕暮来てみれば、入相の鐘に花ぞ散りける、入相の鐘に花ぞ散りける
山寺の春の夕暮れに来てみれば、日暮れの鐘の音とともに花が散っていた。日暮れの鐘の音とともに花が散っていた。
さる程に、寺々の鐘月をち鳥啼いて、霜雪天にみち、潮ほどなく此の寺の、江村の漁火愁ひに対し、人々眠れば
そうするうちに、寺々の鐘が鳴り、月が傾き、鳥が啼いて、霜や雪が天に満ちる。潮もほどなく、この寺のあたり、江村の漁火が愁いに向かい合う。人々が眠りにつくと。
よき隙ぞと立ちそふやうにねらひ寄り、つかんとせしが、思へばこの鐘恨めしやとて、龍頭に手をかけ飛ぶかと見えしが、引っかづいでうせにけり
よい機会と、寄り添うように狙い寄って掴もうとしたが——思えばこの鐘こそ恨めしいと、龍頭に手をかけて飛び上がったかと見えたが、鐘を頭からかぶって姿を消してしまった。
真砂の数はつくるとも、行者の法力つくべきかと、みな一同に声をあげ、東方にござんぜ明王、西方威徳明王天子、北方金剛夜叉明王
浜の真砂の数は尽きようとも、行者の法力が尽きることがあろうかと、みな一同に声をあげて——東方に降三世明王、西方に大威徳明王、北方に金剛夜叉明王。
中央大日不動明王、なまくさまんだばさら、せんだまかろしゃな、そわたやそわか
中央に大日、不動明王。ナマク・サマンダ・バザラダン・センダ・マカロシャナ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン——不動明王の真言。
左の御手に三日三夜、右の御手に三日三夜、合はせて六日に一日まして
左の御手に三日三夜、右の御手に三日三夜、合わせて六日、それに一日を加えて。
七日御祈念、御経読誦の奇特にまかせ、降魔の利剣は何のこっちゃ、何のこっちゃ、力によりてうんだら
七日の御祈念。読経の霊験にまかせて、降魔の利剣は——何のことやら、何のことやら。その力によって、うんだら。
たかんまてうがせっしゃとく、大智慧ちがしんしゃ、即身成仏
(真言の唱えごと)大いなる智慧により、即身成仏を。
祈りければ
そう祈ったところ。
祈り祈られしゃ、むづかしい事ども丹精出し、額に汗の玉の数珠すり、みな声そろへ、つかねど此の鐘響き出で、引かねど此の鐘踊るぞと見えし程なく、鐘楼に引上げたり
祈り、祈られて。難しいことどもに丹精を尽くし、額に玉の汗を浮かべて数珠を擦り、みな声を揃える。撞かぬのにこの鐘が響き出し、引かぬのにこの鐘が躍るかと見えたかと思うと、ほどなく鐘楼へ引き上げられたのであった。
朧月影もさだかに、しどけなく山吹の瀬にほの見え、小褄なりふりほらほら、春風さまはしのびの朝がよい、小川浅ければ裾がぬれそろ、よのふさふさ褄もぬれそろ
朧月の光もさだかに、しどけない姿が山吹の咲く瀬にほの見える。褄をとったなりふりもほらほらと。春風のようなあの方は、忍びの朝帰りがよいという。小川が浅ければ裾が濡れる。ふさふさと褄も濡れる。
物にくるふや浮気涙、間夫の男はつら憎や、抱いて寝たときゃわれならで、外の女郎にゃ逢はぬといふてだましくさったが憎やええ
物狂いのようにこぼれる浮気涙。間夫の男の面憎いこと。抱いて寝たときは、私のほかの女郎には逢わないと言って、だましくさったのが憎らしい、ええ。
ならぬ誓文くつされ、だましはせぬが引くに引かれぬ非があれば、それは寝てからその言訳をせうぞいの、ああいやらしい何ぞいの、昔の悪性したらいでのう、今のしなしはおかしゃな
守れもしない誓文をくつがえされて。だましはしないが、引くに引かれぬ言い分があるなら、それは寝てから言い訳をしましょうよ。ああ、いやらしい、何ですか。昔の浮気ぶりを持ち出さなくても。今のしぐさのおかしいこと。
是は過ぎにし言の葉の
これはもう過ぎ去った日の言葉の数々。
ああ夜昼となき苦しみは無間の鐘、恐ろしや苦しむ無間近づいて、近づいて来世は六つの責鼓謡ふよ
ああ、夜も昼も絶え間ない苦しみ、それが無間の鐘。恐ろしいこと、苦しめる無間地獄が近づいて、近づいて。来世は六道の責め、その鼓が鳴りひびく。
いづく鼓は偽りの契、仇なる爪ごとの引き離れ、いづくにか我が思ふ、忍びねのやわらやわら謡ふよ
どこかで鳴る鼓は偽りの契り。はかない爪弾きの音も引き離されて。どこに我が思いはあるのか。忍び音でやわらやわらと謡うのだ。
まして冥途の修羅太鼓、剣をひっしと植ゑならべ、罪人を追ひまはし、岩石せなに結ひ付けられて、峰よりどうど突き落さるれば、骨は微塵にくだかれて、風に木の葉の散るごとく
まして冥途の修羅太鼓。剣をびっしりと植え並べ、罪人を追いまわす。岩石を背に結びつけられて峰からどうと突き落とされれば、骨は微塵に砕かれて、風に木の葉が散るように。
起請誓紙の数々に、恨の烏集りて、鉄の嘴をならし、銅の爪をとぎ立てて追ひまはし、追ひまはし
書き交わした起請誓紙の数々ゆえに、恨みの烏が集まって、鉄の嘴を鳴らし、銅の爪を研ぎ立てて追いまわす、追いまわす。
流れの罪科地獄の有様、花も一時月の光も、うつるや夢のうつるや夢の、定めなきこそ浅ましや
流れの身の罪科、その地獄のありさま。花も一時、月の光も一時。移ろう夢の、移ろう夢の——その定めなさこそ、まことに浅ましいことよ。
この曲は詞章の出典が他と異なる。『徳川文芸類聚』第十 俗曲下所収『歌撰集』の本文(著作権消滅)により、繰り返し記号は読みやすく展開した。原典の題名は「無間の鐘新道成寺(傾城道成寺)」。
原典は総かな書きのため、読みやすさを考えて漢字を当てた箇所がある。
〔 〕で括った段の名は、原典の〔歌〕〔切のだん〕〔上〕を活かしつつ、読みやすさのために補った。
道成寺物の一だが、舞台を紀州から遠江の小夜の中山(現・静岡県掛川市)へ移し、撞けば現世の金は得られるが来世は無間地獄に落ちるという「無間の鐘」の伝説と重ねる。
「花の外には松ばかり暮れそめて鐘や響くらん」は道成寺物に共通する名句。[[京鹿子娘道成寺]] と読み比べたい。
「色は匂へど散りぬるを我が世誰ぞ常ならん」はいろは歌。無常を説く。
「龍頭」は釣鐘の上部、吊るすための龍形の金具。
祈りの段の真言は原典の音写のまま示した。不動明王の慈救呪などが崩れた形で伝わっている。
作詞者・作曲者・初演年は原典に記載がない。流儀・稽古本によって字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。