京鹿子娘道成寺きょうがのこむすめどうじょうじ
藤本斗文 作詞 初世杵屋弥三郎 作曲 宝暦三年(一七五三)三月 江戸中村座

別題「娘道成寺」。能「道成寺」に基づく。初世中村富十郎が初演した女方舞踊の最高峰で、鐘供養に現れた白拍子花子が次々に衣裳を変えて舞い、ついに清姫の蛇体を現す。
あらすじ
紀州道成寺の鐘供養。所望に応じて舞いはじめた白拍子花子は、初夜・後夜・晨朝・入相の鐘に無常の四句を重ねてうたい、恋に乱れる女心を語る。廓尽くし、手習い、そして山尽くしと、次々に衣裳を変えながら舞い続けるが、やがて鐘への執心をあらわにして龍頭に手をかけ、鐘のうちへ飛び込んで姿を消す。所化たちの祈りに蛇体が現れ、法の力に鎮められる。
詞章と現代語訳
鐘に恨は数々御座る、初夜の鐘を撞く時は、諸行無常と響くなり、後夜の鐘を撞く時は、是生滅法と響くなり、晨鐘の響は生滅滅已、入相は寂滅為楽と響くなり、聞いて驚く人もなし、我も後生の雲晴れて、真如の月を詠め明かさん
鐘には数々の恨みがございます。初夜の鐘を撞くときは「諸行無常」と響き、後夜の鐘を撞くときは「是生滅法」と響く。明け方の鐘の響きは「生滅滅已」、日暮れの鐘は「寂滅為楽」と響く。けれどそれを聞いて悟る人もいない。せめて私も後生の迷いの雲が晴れて、真如の月を眺めながら夜を明かしたいもの。
言はず語らぬ我が心、乱し髪の乱るるも、つれないは唯移気な、どうでも男は悪性者
言うでもなく語るでもない、この胸のうち。乱れ髪のように心も乱れるけれど、つれないのはただあの人の移り気のせい。どうせ男というものは浮気者なのだ。
桜桜と諷はれて、言うて袂の訳二つ、勤めさへ唯うかうかと、どうでも女子は悪性者、都育は蓮葉なものぢやへ
桜よ桜よともてはやされて、口に出す言葉と袂に隠す本心と二つある。勤めさえもただうかうかと過ごしてしまう。どうせ女も浮気者。都育ちというのは軽はずみなものですよ。
恋の別れざと武士も道具をふせ編笠で、張と意気地の吉原、花の都は歌で和らぐ島原に、勤する身は誰と伏見の墨染、煩悩菩提の撞木町より、浪花四筋に通ひ木辻に、禿立から室の早咲、それがほんに色ぢや
恋に別れを告げる里。武士も刀を伏せ、編笠で顔を隠して通う。張りと意気地の吉原、花の都で歌によって和らぐ島原、勤める身は誰を思うのか伏見の墨染、煩悩も菩提もない交ぜの撞木町、浪花の四筋から奈良の木辻へ、禿の頃から室津の早咲きの花のように——それがまことの色というもの。
一ツ二ツ三ツ四ツ夜露雪の日下の関路も、共に此身を馴染重ねて、仲は丸山ただ丸かれと、思ひ染めたが縁ぢやへ
一つ二つ三つ四つと数えるうち、夜露の日も雪の日も、下関の関路までも。ともにこの身に馴染みを重ねて、仲は長崎の丸山——ただ円満であれと願う。そう思い初めたのが縁というものですよ。
梅とさんさん桜は何れ兄やら弟やら、わきて言はれぬ花の色へ
梅と桜は、さてどちらが兄でどちらが弟か。区別して言うことなどできない、どちらも美しい花の色よ。
あやめ杜若はいづれ姉やら妹やら、わきて言はれぬ花の色へ、西も東もみんな見に来た花の顔、さよほへ、見れば恋ぞ増すべ、さよおへ、可愛らしさの花始
あやめと杜若は、さてどちらが姉でどちらが妹か。区別して言うことなどできない、どちらも美しい花の色よ。西からも東からも、みなその花の顔を見に来た。見れば見るほど恋しさが増していく。可愛らしい花の咲きはじめ。
恋の手習いつ見ならいて、誰に見しよとて紅鉄漿つきよぞ、みんな主への心中立、オオ嬉し嬉し、末は斯うぢやに然うなるまでは、とんと言はずにすまそぞへ
恋の手習いはいつ覚えたのだろう。誰に見せようとて紅をさし鉄漿をつけるのか。みんなあなたへの真心の証。ああ嬉しい、嬉しい。行く末はこうと決めていても、そうなるまでは決して口に出さずにおきましょう。
と誓紙さへ偽りか嘘か誠か、どうもならぬ程逢ひに来た、ふつつり悋気せまいぞと、矯めて見ても情けなや、女子には何がなる、殿御殿御の気が知れぬ、悪性な気が知れぬ、恨み恨みてかこち泣き、露を含みし桜花、さはらば落ちん風情なり
そう誓った起請文さえ、偽りか嘘かまことか。どうにもならぬ思いで逢いに来た。もう決して焼き餅は焼くまいと心を抑えてみても情けない。女には何ができよう。殿御の、殿御の心が知れない。浮気なあの人の心が知れない。恨みに恨んでかこち泣く——露を含んだ桜の花が、触れれば散ってしまいそうな風情である。
面白や四季の眺や、三国一の不二の山、雪かと見れば花の吹雪か吉野山、散りくる散りくる嵐山朝日山、朝日山を見渡せば、歌の中山石山の、末の松山いつか大江山、いくのの道の遠けれど、恋路に通ふ浅間山
おもしろい四季の眺めよ。三国一の富士の山。雪かと見れば花の吹雪か吉野山。散りくる散りくる嵐山、朝日山を見渡せば、歌に名高い中山、石山の、末の松山、いつか大江山——生野の道は遠いけれど、恋路に通う浅間山。
ひと夜の情有馬山、いなせの言の葉あすか木曽山待乳山、我が三上山祈り北山稲荷山、縁の結びし妹背山、二人が中の黄金山、花咲ゑいこのこの姥捨山、峰の松風音羽山、入相の鐘を筑波山、東叡山の月の顔、三笠山ただ頼め
ひと夜の情けの有馬山、いなせの言葉の飛鳥、木曽山、待乳山。我が身を祈る三上山、北山、稲荷山。縁を結んだ妹背山、二人の仲の黄金山。花咲く姥捨山、峰の松風が渡る音羽山、入相の鐘を撞く筑波山、東叡山にかかる月の顔、三笠山——ただひたすらに頼みなさい。
氏神様が可愛がらしやんす、出雲の神様と約束あればつひ新枕、廓に恋すれば浮世ぢやへ、深い仲ぢやと言ひ立てて、こちやこちやよい首尾で憎らしい程いとしらし
氏神様が可愛がってくださる。出雲の神様との縁組みの約束があればこそ、つい新枕を交わすことにもなる。廓で恋をするのも浮世のならい。深い仲だと言い立てて、こちらはこちらで首尾よく、憎らしいほどにいとおしい。
花に心を深見草、園に色よく咲き初めて、紅をさすが品よく姿よく、ああ姿優しやしほらしや、さあさあそうぢやいなそうぢやいな
花に心を寄せる深見草——牡丹が、園に色美しく咲きはじめて。紅をさしたその姿は品よく美しい。ああ、優しく、いじらしい姿よ。さあさあ、そうですとも、そうですとも。
五月五月雨早乙女、五月雨早乙女、田植唄、田植唄、裾や袂を濡らしたさつさ、花の姿の乱れ髪
五月、五月雨、早乙女。五月雨、早乙女。田植唄、田植唄。裾も袂も濡らしてしまった、さっさ——花のようなその姿も、いつしか乱れ髪。
思へば思へば恨めしやとて、龍頭に手をかけ飛ぶよと見えしが、引被いでぞ失せにける
思えば思えば恨めしいこと——そう言って鐘の龍頭に手をかけ、飛び上がったかと見えたが、鐘を頭からかぶって姿を消してしまった。
謡ふも舞ふも法の声、エエ何でもせいせい、春は花見の幕ぞ床しき、夏は屋形の舟ゆかし、よいよいよい、ありやりやこりやりやよいとな、秋は武蔵の月ぞゆかしき、冬は雪見の亭ゆかし、よいよいよい、ありやりやこりやりやよいとな
謡うのも舞うのも、みな仏法を讃える声。ええ、何でもよい、それそれ。春は花見の幕が心ひかれ、夏は屋形船が趣ぶかい。よいよいよい、ありゃりゃこりゃりゃよいとな。秋は武蔵野の月が心ひかれ、冬は雪見の東屋が趣ぶかい。よいよいよい、ありゃりゃこりゃりゃよいとな。
浮に浮れて第一宇宙に迷うた、懺悔懺悔六根罪障、南無不動明王、南無不動明王、アア何でもせいせい、動くか動かぬか、なまくさばんだばさらんだ、こりや動かぬぞ真言秘密でせめかけせめかけ、数珠のありたけやつさらさやつさらさ
浮かれに浮かれて、まず何よりこの世に迷ってしまった。懺悔、懺悔、六根の罪障。南無不動明王、南無不動明王。ああ何でもよい、それそれ。動くか動かぬか。ナマク・サマンダ・バザラダン——こりゃ動かぬぞ、真言の秘法で攻めかけよ、攻めかけよ。数珠をありったけ、やっさらさ、やっさらさ。
せんだまかろしやな何のこつちやへ、そはたらうんたら何のこつちやへと祈りける
センダ・マカロシャナ——何のことやら。ソハタヤ・ウンタラタ——何のことやらと言いながら、懸命に祈るのであった。
謹請東方青龍清浄、謹請西方白体白龍、一体三千大千世界の恒沙の龍王哀愍納受、何国に恨のあるべきと、祈り祈られ飛上り、御法の声は金色の花を降らせし其の姿、実にも妙なる奇特かや
謹んで請う、東方の青龍清浄。謹んで請う、西方の白体白龍。三千大千世界のガンジス川の砂ほどもある龍王よ、あわれみをもってお受けください——どこに恨みがあろうかと、祈り、祈られて飛び上がる。仏法の声は金色の花を降らせた。そのさまは、まことに霊妙な奇跡であった。
詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第二編 長唄集(明治四十二年刊・著作権消滅)所収の本文(目次題名は「娘道成寺」)により、繰り返し記号は読みやすく展開した。
〔 〕で括った段の名は、読みやすさのために補ったもの。原典にはない。
能「道成寺」に基づく。安珍を慕う清姫が蛇と化して鐘もろとも焼き殺したという道成寺縁起を背景とする。
冒頭の「諸行無常・是生滅法・生滅滅已・寂滅為楽」は涅槃経の四句偈。初夜・後夜・晨朝・入相の鐘に配する。
「廓尽くし」は吉原・島原・伏見墨染・撞木町・浪花新町・奈良木辻・室津・長崎丸山と、全国の遊里の名を連ねる物尽くし。
「山尽くし」は富士から三笠山まで数十の山の名を詠み込む、この曲最大の聞かせどころ。
「深見草」は牡丹の異名。「花に心を深く」に掛ける。
「龍頭」は釣鐘の上部、吊るすための龍形の金具。ここに手をかけて鐘へ飛び込む。
原典の「生滅滅為」は涅槃経の「生滅滅已」の表記の揺れと解して改めた。
流儀・稽古本によって仮名遣いや字句に異同がある。演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。