藤舎の紋 藤舎名玄TOSHA MEIGEN ― 詞章ライブラリーへ戻る
清元

二人奴ににんやっこ

清元  本名題『能中綱摂の花轢』(よいなかつなひいきのはなだし)  別題『曽我模様』  作詞者・作曲者・初演年不詳

二人奴 雨の縁側の奴豆腐
雨の縁側の奴豆腐

祭の花山車と、雇われの奴二人の伊達を描く祝儀の一曲。「曽我模様、妹背結ぶの組帯を締めて、両社の祭こそ歌舞伎の花か」と起こし、前半は花山車の人形に見立てた神功皇后と武内宿禰の段で、三韓を従えた弓の勢い、海龍王の捧げた干珠満珠の奇瑞、老いた宿禰の色事の述懐、香椎の宮と高良の神へ運ぶ。後半は祭の警固に雇われた奴の段になり、ゆうべの深酒、汗で流れた作り髭、鳥毛の槍、五月雨の虎が雨に徳利酒と豆腐と唐辛子、三下りの小唄を挟んで、鋲打乗物の嫁入りと三三九度の万歳、曽我にゆかりの紋に寄せた二人の相惚れ、勇み肌の掛け声へ。足拍子手拍子の大入りに「いつも栄へ町」と芝居の繁盛を寿いで結ぶ。花山車の神功皇后・武内宿禰は、当ライブラリの武内宿禰・お祭と同じ山王祭の趣向。仮名書きの多い『柏葉集』の本文に漢字を当てた。

あらすじ

曽我模様の組帯を締めて、山王・神田の両社の祭は歌舞伎の花。花山車と屋台囃子の勢いのなかに、神功皇后と武内宿禰が現れる。皇后の弓の勢いは異国にまで及び、宿禰の軍略に荒夷もなびいた。海龍王が捧げた干珠・満珠の奇瑞。老いた宿禰は、若いころの忍び歩きを懐かしむ。香椎の宮、高良の神と今も拝まれる二柱。後半は祭の警固に雇われた奴二人。ゆうべも三百文はり込んで飲み、汗で作り髭も流れた。鳥毛の槍を振り、五月雨の虎が雨には徳利酒に豆腐と唐辛子。つかみどころのない男を泥鰌や鯰にたとえる小唄、嫁入り行列と三三九度の万歳、曽我ゆかりの紋に寄せた相惚れの仲、勇みの掛け声と続き、足拍子手拍子の大入りに、いつも栄える堺町と芝居の繁盛を寿ぐ。

詞章と現代語訳

曽我そが模様もやう妹背いもせむすぶの組帯くみおびめて、両社りやうしやまつりこそ歌舞伎かぶきはなか〔合〕はな山車だし屋台囃子やたいばやしきほひよく

曽我模様の、妹背を結ぶ組帯を締めて——両社の祭こそ、歌舞伎の花か。花山車も屋台囃子に勢いよく。

さて神功皇后じんぐうくわうごうの、そのいさほし異国いこくまで、雄威ゆういしめいつてうゆみいきおい、岩壁がんぺき三韓さんかんわうは日本のいぬと、つけたまふなる〔合〕

さて神功皇后のその勲は、異国にまで威勢を示す一張の弓の勢い。岩壁に「三韓の王は日本の犬」と彫りつけなさったという。

そばにおいきの武者むしや一騎いつき軍慮ぐんりよとしたけの内外に、たぐいもあらゑびす安々やすやすなびしたがひしも、ひとつはこれなる名珠めいしゆとく、ヲヽその干珠かんじゆ満珠まんじゆこそ、すでに此地このち軍船いくさぶね〔合〕

そばには「おいき」の武者が一騎。軍略も年の功も、武内宿禰——内にも外にも並ぶ者のないその人に、荒夷もやすやすとなびき従ったのも、一つにはこの名珠の徳。おお、その干珠・満珠こそ、いまこの地へ軍船で。

諸卒しよそつともしほの、八十島やそしま千鳥ちどりとも千鳥ちどり、むらむらかもめ〔合〕こゑへて、おき浮洲うきすのちんりちりちり〔合〕ぱつといそぐもなみの、みづそらなるわだつうみ

諸卒とともに船出する潮に、八十島の千鳥、友千鳥、群れ飛ぶ鴎も声を添えて、沖の浮洲にちんりちりちり。ぱっと急ぐ船も立つ波の、水か空かと見まがう大海原。

そこともらぬ潮路しほぢより、海龍王かいりうわう欣然きんぜんと、さゝいでたる二個にこたま奇瑞きずいはまさに有難ありがた

底とも知れぬ潮路の底から、海龍王が喜んで捧げ出した二つの珠。その奇瑞は、まことにありがたい。

きみ姿すがたたれをおきながひめの、ぼつとりとたけやはらぐこひみち

君のお姿に、誰もが手を置く——息長姫(神功皇后)の、おっとりとして、猛くも和らぐ恋の道。

おらもわかときやナア、わかときやおらも、いろなゝつ、こゝの柴垣しばがき彼処かしこ妻戸つまど、くんぐりくんぐりくらがりで、おてゝんまくらかはした、いまゆめにもらぬゆきつもる、むかしなつかしや

おれも若い時はな、若い時はおれも、色事に浮き身をやつして、八つ、七つ、九つ——ここの柴垣、あちらの妻戸と、こっそり暗がりで手枕を交わしたものだ。いまは夢にも知らぬ、雪の積もる白髪の身。昔が懐かしいことよ。

されどちから益荒男ますらをに、まさりはすともおとりなき、君臣くんしん和合わがふ香椎かしいみやかうかみと、いまをがまたまふぞを

けれども力は、ますらおにまさりこそすれ劣りはしない。君臣和合の香椎の宮、高良の神と、今も世に拝まれていらっしゃる。

まつ二日ふつかをあてのみに、ゆふべも三百さんびやくんだ、コリヤコリヤコリヤコリヤしてこいさ〔合〕やとやつこ看板かんばんも、あせながれたつくひげすみりぬる、ヲヽさてな、ちつとかはつてとりやり

祭の二日間をあてにして飲み、ゆうべも三百文はり込んだ。こりゃこりゃ、してこいさ。雇われ奴の看板(法被)も汗で流れて、作り髭の墨も散ってしまった。おお、さてな、ちょっと変わって鳥毛の槍。

〔二上り〕

今日けふ警固けいご伊達だて道具だうぐ合点がてん合点がつてんだ〔合〕ふりふりふりこめさ〔合〕るは五月雨さみだれ、ヤレとらあめ

今日の警固の伊達道具。「合点か」「合点だ」。振り振り、振りこめさ。降るのは五月雨、やれ、虎が雨。

とてもるなら、とゝんと徳利とくりざけいし御器ごき茶碗ぢやわんでやつつけろ、とんとん唐辛子とがらしかつかぢり、我等われら豆腐どうふはらはちはい、ずんずとのばしたお切米きりまい、やろか信濃しなの雪国ゆきぐに

どうせ降るなら、とくとくと徳利の酒を、石の御器茶碗でやっつけろ。とんとん唐辛子をかじり、おれたちは豆腐で腹八杯。ずんずと延ばしたお切米——いっそ信濃の雪国へやろうか。

〔三下り〕

さまは小溝こみぞ泥鰌どぜうなまずへぬらりくらりでれぬ

あの人は小溝の泥鰌や鯰のよう。ぬらりくらりで、気心が知れない。

ちよいとそこらで、わかいは二度にどない、いろ蕎麦そばきりびてはいかない

ちょいとそこらで。若さは二度とない。色事と蕎麦切りは、のびてはいけない。

今宵こよひあをとのやくだくしめて〔合〕背戸せどもゝかす

今宵、「あをとのやくだく」締めて——背戸の桃の木の下で、立ったまま夜を明かす。

そりやた、嫁御よめごのおいりびやううち乗物のりもの、おそば付々つきづき被衣かづき沢山たくさんむかふの玄関げんくわん出迎でむか人数にんずが、おりどり、すつととほれば座敷ざしき島台しまだい〔合〕

そりゃ来た来た。嫁御のお輿入れは鋲打ちの乗物、お側の付き人、被衣の女中もたくさん。向こうの玄関に出迎える人々が手を取り取り、すっと通れば、座敷には島台。

むこさん上下かみしも

聟さんは裃。

嫁御よめご振袖ふりそで、ちよつぴりあたま帽子ばうしかぶつて、三々さんさんさかづきうたいひきとり、万歳ばんぜい万歳ばんぜい万歳ばんぜい万々歳ばんばんぜい〔合〕

嫁御は振袖、ちょっぴり頭に綿帽子をかぶって、三三九度の盃。謡でお開き、万歳、万歳、万歳、万々歳。

そのあとらねへ、さつさとやらかせへ、やらしやんせ、こつちもよやれつじはな

そのあとは知らねえ。さっさとやらかせえ、やらしゃんせ。こっちも寝よう、やれ辻が花。

そもや二人ふたり中々なかなかは、こゝろこがまちあかし、ふてうれしきもど駕籠かごたがひむね打明うちあけて、あひれのいた同士どしかはるまいぞと言しでの神々かみがみさんへちかひにかけ

そもそも二人の仲は、心で焦がれて待ち明かし、逢えてうれしい戻り駕籠。互いに胸を打ち明けて、気も相惚れの好いた同士。変わるまいぞと、神々さまへ誓いをかけて。

ほんにわたしかへもんの、てふ花形はながたにそれいな、わしがつけたる舞鶴まひづるも、曽我そがにゆかりのはなれぬが、ふかえんじやないかいな、ほんに浮世うきよいろじやもの

ほんに、わたしの替紋の蝶の花形に、それ、わしが付けた舞鶴も——曽我にゆかりの、離れられない紋どうし。深い縁ではないかいな。ほんに浮世は色じゃもの。

〔二上り〕

つらいつらいとふたびに、おしやるのエチヤエ、つらかひまかしよ、つとつとめの魂胆こんたんで、のエチヤエ、かわまくら数々かづかづと、おしやるのエチヤエ、てもよかしはなやぐら

「つらい、つらい」と逢うたびにおっしゃるのえちゃえ——「つらかひまかしよ」——憂い勤めの手管とて、変わる枕は数々と、おっしゃるのえちゃえ。来て見るがよい、この花櫓を。

いさいさんで、どつこいな、金剛力こんごうりきまつかせろ、とこまかせてよいとこな〔合〕てんとびやくらいういてきた、サツサよんやせ、とつかけべいさばよ、おまきもおなべもぼつてろ、おいどがおもくとぼつてろ

勇みに勇んで、どっこいな。金剛力なら任せておけ、「とこまかせて」よいとこな。「てんとびやくらい」浮いてきた、さっさよんやせ、「とつかけべいさばよ」。おまきもおなべも追い立てろ、尻が重いと追い立てろ。

づまそろへて、しとゝんしとゝん足拍子あしびやうし手拍子てびやうし拍子ひやうしよく、にぎ大入おほいりに、いつもさかまち

小褄をそろえて、しとんしとんと足拍子、手拍子も拍子よく、賑やかな大入りに——いつも栄える堺町。

この曲は詞章の出典が他の清元と異なる。国書刊行会『徳川文芸類聚』第九 俗曲上所収『柏葉集』の本文(著作権消滅)による。目次の題名は『能中綱摂の花轢(二人奴)』、本文の題名は『能中綱摂花轢(二人奴)』。原典には作者の記載がない。

原典は仮名書きが多いので、読みやすさを考えて漢字を当てた。ふりがなが原典の仮名である。原典が漢字で書いている字はそのまま残した(「日本」「内外」「言し」は読みを定めがたいので、ふりがなを付けていない)。

原典の〔三津五郎/芝翫出〕は、坂東三津五郎と中村芝翫の出を示す注記なので、本文には入れなかった。題の「二人奴」はこの二人の奴による。「両社の祭」は山王祭と神田祭と見られる。前半の花山車の神功皇后・武内宿禰、「諸卒と共に出しほの八十島千鳥友千鳥」の文句、高良の神は、当ライブラリの清元「武内宿禰」と重なる。

繰り返し記号は、直前の語句を繰り返すものとして展開した。「コリヤコリヤ/\/\」は「コリヤ」を二度繰り返して四つ、「ばんぜい/\/\ばん/\ぜい」は「万歳万歳万歳万々歳」、「つき/゛\」「とり/゛\」は「つきづき」「とりどり」、「しとゝん/\」は「しとゝんしとゝん」と見た。どこまでを一語と見るかはこちらの判断による。

掛け言葉が多い。「手をおきなが姫」は「手を置き」に神功皇后の名の息長足姫(おきながたらしひめ)を掛ける。「武の内外に類もあら夷」は武内宿禰に「内外に類もあらじ」と荒夷を重ねる。「八つ七つこゝの」は「九つ」に「此処の」を掛けたと見た。「墨も散りぬる」はいろは歌の「散りぬるを」、結びの「栄へ町」は芝居町の堺町(中村座のあった町)に掛ける。

「三韓の王は日本の犬」と岩に書きつけたというのは、神功皇后が弓の弭(はず)で書いたという八幡の縁起の伝えによる。干珠満珠は潮を満ち干させる珠で、海龍王から授かったと伝える。香椎宮は神功皇后を祀り、高良の神は武内宿禰と同じ神とされることがある。

「虎が雨」は陰暦五月二十八日に降る雨で、曽我十郎の死を大磯の虎が悲しむ涙という。冒頭の「曽我模様」、後半の「曽我にゆかり」の紋(蝶の花形・舞鶴)と、全体に曽我物の趣向がある。どの紋が誰のものかは原典に記されていないので断じない。

「看板」は奴の着る紋付きの法被。「石御器茶碗」は粗末な茶碗の意と見た。「お切米」は奉公人の給金にあたる扶持米。「鋲打乗物」は鋲を打った上等の駕籠、「被衣」は女性が頭からかぶる衣、「島台」は婚礼の飾り台、「帽子」は花嫁の綿帽子と見て訳した。「三々盃」は三三九度。「辻が花」は模様染めの名で、ここは囃子の文句。「おまき」「おなべ」は下女の通り名。

原典の用字「いさほし」「いきおい」「たぐい」「拜れ給ふぞを」「かわる」「どぜう」はそのまま残した。

語義や切り方を定めがたい箇所は原典のまま残した。「おいきの武者」の「おいき」、「ゆうい」(雄威と当てた)、「おてゝん枕」(手枕の意と見た)、「なまずへぬらりくらり」の「へ」、「あをとのやくだくしめて」、「言しでの神々さん」、「つらかひまかしよ」、「とこまかせて」、「てんとびやくらい」、「とつかけべいさばよ」、「にぎ大入」の「にぎ」、「延したお切米やろか信濃の雪国へ」(大食いの奉公人を信濃者と呼んだことを踏むかと見えるが、断じきれない)。

流儀・稽古本によって仮名遣いや字句に異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。